元号年 | 年 | 月日 | 事項文 | キーワード |
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明治16年 | 1883 | 1月12日 | 庄内三郡の有志、岡田是行・斎藤良輔・森藤右衛門・小野寺順太等が鶴岡に会し、三郡町村立中学校の設立を協議する。(荘内歴史年表) | |
| | 1月 | 開拓功労者加藤安興が没する。39歳。漆曽根村の富豪岡本家に生まれ、押切新田村(現在の三川町地内)の豪農加藤与一右衛門の婿養子となる。明治13年川代村(現在の羽黒町地内)と増川山一帯の丘陵地千百余町歩の牧農地造成を企図し着工する。また洋式経営をもくろみ、米国より、プラオ式開墾機・洋牛・洋式農機具を導入した。押切新田村耕福寺に葬られる。 | |
| | 2月 | 酒田治安裁判所を山形始審裁判所酒田支庁と改める。(荘内史年表) | |
| | 2月 | 「両羽新報」が発行を停止され、飽海協会は組織替えされ庄内自由党となる。 | |
| | 2月 | 新堀村で住屋47・非住屋49を焼失する。(県警史年表) | 火事 |
| | 3月5日 | 午前0時3分、上小路から出火して秋田町・本町五・六・七丁目を焼き、午前6時30分染屋小路で鎮火し、96戸を焼く。この時、琢成学校・十全堂も類焼する。また銀貨や蔵米1万俵余を焼く。三條実美が「琢成学校」と書した大額を取り出そうとして、白崎良彌が単身3階にかけのぼり、これを取りはずしたが、階段を降りることができず、ついに灰燼に帰す。良弥は窓を破り二階より飛びおりて負傷する。(酒田港誌) | 火事 |
| | 3月20日 | 南部より生青魚が浜船で50艘余、酒田に来る。 | |
| | 4月 | 鵜渡川原の粕谷次郎が米穀改良の説を発表する。 | |
| | 6月4日 | 山形県産婆教授掛佐藤千万を派遣し、酒田医会所(十全堂)に於て飽海郡の産婆試験を行う。(咄の種瓢) | |
| | 6月25日 | 酒田警察署を篤志者の寄附により本町四丁目の西南角18番地(現在の産業会館の位置)に新築する。 | |
| | 7月8日 | 酒田警察署本町四丁目北角の(現荘内銀行酒田中央支店)に新築落成する。 | |
| | 7月17日 | 「両羽日々新聞」が創刊され、10月「荘内新聞」と改称、12月廃刊する。 | |
| | 7月 | コレラが流行する。 | 病気 |
| | 8月 | 酒田神宮教会所の常世権中教正が、教会所を廃し、宗源教別派の独立を企て、大事件となる。 | |
| | 8月 | 郷村戸長の選挙を行う。 | |
| | 9月 | 西南の暴風で島船36艘が転覆する。(飛島誌) | |
| | 10月31日 | 午後11時、利右衛門小路から出火して船場町の下蔵まで焼き、翌日午前5時に鎮火する。 | 火事 |
| | 11月11日 | 僧、湖南が没する。61歳。姓伊佐、竜巌寺三十八世住職。俳諧に長じて常世田長翠の風をとり、また横笛にも長じた。日和山に湖南の句碑(夏山のかけひたしけり最上川)がある。竜巌寺に葬られる。 | |
| | 11月20日 | 本町七丁目北側8番地に従来のものが狭くなったために飽海郡医学講教会所及び十全堂を新築し、開業する。棟梁は本間惣治。 | |
| | | 僧侶、本多澄雲・新田玄証らが仏教顕道会をつくる。 | |
| | | 酒田廻船問屋組合が郵船株式会社より新井田倉庫の一部を借りうけ、再び倉庫業を始め、米券を発行する。 | |