明治22年(1889)

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明治22年18892月衆議院議員選挙法が施行される。山形県は四区その内庄内は第三区。
3月飛島に初めて巡査駐在所がおかれ戸塚豊治郎巡査が駐在する。
3月下内町に土門活版所が創業する。
4月町村制施行により新村がつくられる。6月村長選挙が行われ、各村の初代村長が決まる。( )内は村長名。
新堀・丸沼・落野目・木川・門田・局・板戸の各部落を合せて新堀村とする。(阿部孫左衛門)
古川・上安田・下安田・上野曽根・鶴田・吉田・吉田新田の各部落を合せて上田村とする。(島田良三)
広野新田・福岡・大淵の三部落を合せて広野村とする。(菅原伝太郎)
広岡新田・黒森・坂野辺新田・十里塚・宮野浦・浜中を合せて袖浦村とする。(加藤甚平)
新青渡・古青渡・布目・曽根田・久保田・円能寺・上興屋・中野曽根・牧曽根を合せて北平田村とする。(杉山永次郎)
手蔵田・大槻新田・荻島・本川・茨野新田・小牧・小牧新田・中野新田・土崎その他を合せて中平田村とする。(田中農夫蔵)
生石・北沢・横代・関・境興屋の各部落を合せて東平田村とする。(土田与助)
宮内・千代田・米嶋を合せて南遊佐村とする。(石山義孝)
本楯・豊川・大豊田・城輪・豊原・庭田・保岡を合せて本楯村とする。(杉山三郎治)
穂積・藤塚・豊里・宮海・高砂・酒井新田を合せて西荒瀬村とする。(佐藤信敬)
4月「江北雑誌」が創刊される。(月刊文芸誌)。編集者、佐藤良次。
5月20日山王祭礼の山車、上は楠正成・正行の桜井の別れ、下は仁徳天皇と民の田植。見物の群集何万人。近来ない賑わいとなる。
5月飽海郡役所に所有地の価格500円以上のものを招集し、郡参事員の選挙を行う。
6月1日村会議員選挙。
6月26日最上川出水、最高水位16尺6寸(4.98メートル)酒田在の新田通りは大海の如くなる。(余目郷土誌)水害
7月25日酒田第七十二国立銀行が佐賀市へ移転する。(荘内銀行百年史)
7月鶴岡・酒田の両町に町制を布き、町役場を置く。本間光輝が酒田の初代町長となる。町役場は本町四丁目角(現荘内銀行、元上林屋敷)におかれ、その後、本町五丁目角に移転したが、27年の震災で焼け、30年、元の本町四丁目角に新築する。(荘内経済年表)
7月庄内鉄道期成同盟会がつくられる。主任幹事、佐藤直中ほか2名。
7月北平田村役場が竣工する。
10月本間家が新井田倉庫の預かり米を全部4斗俵に改める。
10月下小路から秋田町下に至る護岸工事と荷揚場の工事を始める。
11月上内町に蒸気器械による精米会社ができる。1日に5斗俵で108俵をつく。
旧12月4日飛島でタラのハエナワ漁にでた船が遭難し、62名が一人残らず海の藻屑と消えた。「ソウケ」(総て失なう)といって、島にとって最大級の惨事であった。その後、島では晴雨計を設置した。この日午前中は、おだやかだったので日本海側の東北北海道地方では、いっせいにタラ漁に出た。ところが午後になると突風と吹雪になり、各地で遭難事故が起り、多くの犠牲者を出した。(酒田市制50年)
宮野浦に常夜灯を設ける。
秋、高橋泥舟が清川より酒田に遊び、長く小幡に宿する。
庄内のうち、飽海郡は2町27力村・東田川郡は26力村・西田川郡は鶴岡町外16力村となる(山形県町村合併誌)
この頃、山形県薬種業組合が設立する。各市各郡に支部を設置して幹事を置く。飽海郡の幹事は遠田富之助。
円能寺村で大火、本徳寺も焼失する。火事