明治23年(1890)

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明治23年18901月村田与治兵衛の周旋で本町六丁目に山形第八十一国立銀行酒田支店(両羽銀行、現山形銀行の前身)が設置される。
2月15日秋田町に第六十七国立銀行酒田支店が開店する。(荘内銀行百年史)
3月山形県始審裁判所酒田支庁を酒田区裁判所と改める。
5月20日当地方初めての永久橋として、ドイツ式設計による新井田橋(眼鏡橋)が竣工する。請負者は鶴岡の風間文太郎と浅井市郎で、設計はゲオルグ・デフォルグ。(「日刊庄内」昭和29.8.21)
5月30日「荘内新報」が発刊される。本町五丁目清野知中。(市史史料篇七)
5月「酒田商業新報」が発刊される。のちに有恒会から買収され同会の機関紙となる。主筆早田元道。その後、「両羽」、「荘内日報」と紙名を改め、最終的には明治29年8月頃に「酒田新聞」となる。
6月船場町の荷揚場が竣工する。
7月1日第1回衆議院議員選挙が行われ、自由党の駒林広運と鳥海時雨郎が保守の斎藤良輔・本間耕曹を破って当選する。
逓信大臣榎本武揚が来酒して小幡に宿る。このとき前島密(逓信次官か)も同行しており、小幡に宿り、漢詩を作っている。
三浦常徳が没する。桶屋町35番地に生まれる。明治10年医師となる。同23年、中平田村の二代目村医となり地域医療につくす。
平田安吉が福岡県から農業教師を招き、庄内に乾田馬耕を伝える。
曽根田村で大火。
下台町に池田真佐により玉影館(のちの若林写真館)が創業する。(酒田新聞)