元号年 | 年 | 月日 | 事項文 | キーワード |
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明治31年 | 1898 | 1月4日 | 荘内銀行開業、資本金20万円、専務取締役小山太吉。(荘内銀行百年史) | |
| | 2月21日 | 自由民権家松本清治が没する。57歳。嘯月庵向川。熊手島村堀善蔵の次男として生まれ、のちに本楯村の富農松本藤十郎の養嗣子となる。佐久間象山の塾で学ぶ。森藤右衛門・鳥海時雨郎らと政治結社尽性社を設立、両羽新報の創刊にも関与した。梵照寺に葬られる。 | |
| | 3月15日 | 午前10時半、後田山の農民46名が杉下駄をはいて来酒し、米穀取引所を襲う。首魁山口は大兵肥満で整然と指揮する。世に杉下駄騒動という。 | |
| | 3月25日 | 西川耕作が飽海郡長となる。(荘内史年表) | |
| | 3月29日 | 酒田町立高等女学校が創立する(現、西高)。初代校長、長屋由郎。寺町元酒田高等小学校女子部校舎を使用。まもなくオルガンを購入し音楽教育を行う。 | |
| | 5月 | 下旬庄内で二万石の外国米(中国米)を買い入れる。(遊佐町史年表) | |
| | 6月15日 | 内町に牧師矢野猪三郎(のち東北学院神学教授)が初めて、日本キリスト教会酒田伝道所の看板をたてて布教する。明治35年4月まで酒田で伝道活動を行う。 | |
| | 7月 | 荘内水産株式会社が創業する。 | |
| | 8月 | 船場町に酒田物産株式会社が設立する。営業種類、物品販売、重役秋野文治郎。創立のころは薪炭株式会社と称して薪炭売買を行い、のち酒田物産と改める。(郷土史・地) | |
| | 9月 | 「商要魁日報」が発刊される。発行者、三島蒼太郎。 | |
| | 9月19日 | 国立銀行満期と共に、第六十七国立銀行は本支店とも株式会社に改組して業務を継続する。 | |
| | 9月27日 | 医師池田宏道が没する。70歳。宝定・梅谷・梅岑・尋芳軒・下山。江戸で進藤源泉に医術を学ぶかたわら儒学を学ぶ。しばしば詩会を開く。俳諧や囲碁にも長ずる。林昌寺に碑がある。 | |
| | 11月 | 池田藤八郎が第四代町長になる。 | |
| | | 庄内は虫害で大凶作。 | |
| | 11月24日 | 鱸松塘が没する。76歳。松塘名は元邦、字は彦之。房州の人。詩を能くし、明治23年10月来遊、伝馬町村上屋に宿る。 | |
| | 12月23日 | 自由民権家高橋直勝が没する。50歳。兼四郎・翠谿。亀ケ崎足軽高橋嘉助(直義)の長子として生まれる。明治14年酒田町戸長、のち辞して両羽新報社の設立に関与、森藤右衛門・鳥海時雨郎らとともに自由民権運動に活躍した。志士阿部千萬太の顕彰につとめる。青原寺に葬られる。大正9年8月「正雄院直山明勝居士墓」が遠藤宗義撰文・添削佐藤良治・甲崎環書で青原寺に建立される。 | |
| | | この頃本町三丁目の相場師鐙谷惣太郎が自宅と本町七丁目の米穀取引所との連絡のため、私設電話として明治23年に三吉電機工場で初めて製造されたガワー・ベル電話機をとりつける。これは電話交換開始より10年も早く、相場師がいかに情報収集に敏感であったかを示す。現在この電話機はNTTに保存されている。 | |
| | | この頃「庄内商工新報」が発刊される。 | |