明治32年(1899)

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明治32年18992月飽海郡農会の加藤徳弘が水稲品種、豊後の栽培成績を頒つ。
4月16日東京・酒田間電信回線(モールス単信-現字・紙使用のもの)が開通する。
5月雑誌「荘内文学」が発刊される。編集者、相蘇常次郎。同人は加藤雪窓・佐藤北溟・和島碧波・藤井蒼龍・最上谷碧水・斎藤香均等である。
6月27日嘉納治五郎・西村茂樹が飽海郡会議事堂で講話を行う。
7月4日指宿彦八が飽海郡長に任じられる。(荘内史年表)
9月文芸雑誌「花月集」が発刊される。藤井孝吉・西谷直治郎。
10月広野上中村五所神社境内に「梅津春宗君碑」がたてられる。黒崎馨撰井書。
11月本間家の本立学校を閉校する。
11月5日竹内伊右衛門が没する。76歳。幼名為松、のち伊右衛門と改める。恒久・竹裡と号する。文政7年11月、米屋町に生まれる。質屋を業とするかたわら小松周輔に学ぶとともに菅原長右衛門に和算を学ぶ。渡辺佶郎が牛痘の接種法を庄内に伝えると、伊右衛門はこれを普及しようと白崎五右衛門に諮り、医会所再建に盡力する。万延2年12月その賞として苗字を許され、のち禄を給わり、士班に列せられる。浄福寺に葬られる。(酒田港誌)
本間家の渡口米35,278俵。(市史史料篇五)