明治42年(1909)

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明治42年19092月中瀬の渡の創設者で染屋小路で商売を営んでいた佐藤七郎兵衛の功績を記念した「中瀬渡舩碑」が孫に当たる佐藤源治郎により飯森山下試田に建立される。
3月西荒瀬郵便局が業務を開始する。
4月持地院住職大滝宗渕が大仏放光会育児院をつくる。
4月6・7日豪雨のため、最上川増水9尺(2.7メートル)、民家及び橋梁の流失等被害が甚だしい。水害
千河原堤防破壊、新堀・余目地方大被害。(県警史年表)
4月19日海軍の第十七水雷艇隊(隊長 野中経彦中佐)が酒田港に来港し、市民の大歓迎を受ける。この際に機械水雷の寄贈を受け、日和山公園にこれを据え付ける。
5月内務省技師藤重鉄郎が来酒し、勝又本県技師とともに河口を調査する。
6月2日大谷派本願寺連枝大谷勝信が浄福寺で法話をする。(酒田港誌)
6月27日山形監獄酒田分監が完成する。
6月28日池田清直達が「酒田写真倶楽部」をつくり「写真集」第1号を発行する。写真集の巻末には会員同志の批評文がのせられている。第2号は翌年1月に発行。
7月4日電気事業竣工祝賀会が小幡で挙行され、馬淵県知事、飽海郡長、町長ら出席のもと開始を祝う。芸妓の「電気踊り」が披露されたほか、本町四丁目の電気作業所前には、緑門と電気装飾をして電灯。中町・秋田町にはイルミネーションが点じられた。「ア、ア、明るいね。ツ、ツ、月夜かね」の会話が流行した。
7月24日農商務省技師工学博士三山善太郎が漆器業視察のため来酒する。(酒田港誌)
8月2日私立衛生会飽海支会を浄福寺で開く。県衛生課長上田環太郎、鉄道省栗本庸勝、医学博士柴山五郎作、医学博士大澤謙一等が講演する。(酒田港誌)
8月西荒瀬村に鮭・鱒の人工孵化場が設立される。
8月7日海軍の義勇艦第二うめが香丸が酒田港に寄港する。
8月24日早稲田大学講師志賀重昂が酒田高等女学校で地理歴史に関する講演をする。(上に同じ)
8月25日逓信大臣伯爵後藤新平が来酒、紅艶楼に宿す。翌日河口を検分し、酒田・新庄間鉄道敷設の有望なことを示唆する。夜、小幡における官民合同歓迎会に臨み、27日、鶴岡に向け出発する。(上に同じ)
9月酒田仏教青年会がつくられる。理事・桜井晋(産婦人科医)・佐藤清治(眼科医)。
9月東京帝国大学講師常盤大定(のち文学博士)が海晏寺釋尊傅講習会において講演する。(上に同じ)
10月最上川水戸教導所を宮野浦から北岸に移す。
10月16日酒田・松嶺間の電話が開通する。(酒田の電話と電報)
11月漆曽根郵便局が開設される。
11月10日船場町出身の相場師早坂豊蔵(二菊)が東京の信義堂書店から『株式期米相場経済学』を出版する。彼はこの前、『株式期米相場認識学』を出している。いずれも郷里の先輩本間宗久の秘説である相場三昧伝すなわち禅理を応用して、相場未来の高低を自然に我が心裡に感得するの方法を詳論したもので、いわば相場禅というべきものである。
12月18日前代議士本間耕曹が温海で没する。68歳。幼名を友三郎と称し、光清、子直。手裏剣及び弓術・剣道に達し、洋式兵法・砲術を江川坦庵に学ぶ。高嶋秋帆、掉尾の高弟で塾頭となる。かたわら詩書を能くする。明治維新の際、庄内藩のためドイツ人ガルトネル・スネルから銃砲買入にあたる。薩摩屋敷の焼打では、砲台の配置につき、フランス砲兵将校の指示をうけて計画をたてる。しばしば危険の境に出没し、功をたて新知百石を給わる。明治6年来本願寺大谷法主一行十数名とともにヨーロッパにゆき、9ヵ月滞在する。一行の中に成島柳北・井上毅・沼間守一等がいる。ヨーロッパでは岩倉具視一行と接触する。8年、兄光貞のため本間宗家に対し、相続争いを起し、裁判となったが、のち和解する。政府に鉄道敷設について進言する。10年警視庁大警部、警視兼二等警察使を経て、18年退官。25年改進党に属し、衆議院議員に当選、27年3月まで在任する。それより東京小石川に住まいし、骨董商を営み、浮世絵等を海外へ売却した。明治22年には『増補浮世絵類考戯作者畧伝並肖像』を出版する。(光丘文庫蔵)光丘文庫に西洋兵学・砲術に関する彼の著書及び蔵書がある。浄福寺に葬られる。
12月26日公衆電話が初めて荒町角に設置される。
12月酒田文庫を私立酒田図書館と改称する。
港座で政治家、犬養毅ほかの演説会が開かれる。(酒田町史年表稿)
新堀郵便局で電信事務を開始する。(我等のふるさと新堀)
県費2万7千円を投じて、最上川導水堤を120間(218.4メートル)増築する。
羽前・羽後に商港を設置しようとして、内務省が技師を派遺し、酒田・船川・土崎等を調査する。これより3港間に猛烈な競争が始まる。
両羽汽船株式会社所有の出羽丸で、酒田・函館・エトロフ間の不定期航路を開く。4月から11月頃までは定期のように就航し、翌3月ころまでは酒田・函館間を航海する。(郷土誌・地)
鉄道敷設や港湾工事の促進を図るため、商工談話会員を中心に町民多数が政友会に入党する。
肥料共同購入が始まる。(余目町会議録)
酒井調良が推奨普及に努めた核無柿が農学博士原熈により、平核無柿と命名される。
この頃酒田湯屋組合が設立する。組合長長浜甚八。(郷土誌・地)
この年大豊作。