大正8年(1919)

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大正8年19191月6日最上川が結氷し、渡船中止となる。2月21日に解氷する。
1月酒田商工業組合連合会がつくられる。
2月18日本間光丘の功績を永く記念するため町会の議決により、「大字新町字長坂」の地名を「大字新町字光ケ丘」と改称する。
4月10日船場町へ山形専売支局酒田出張所庁舎および塩倉庫が竣工する。
4月12日米屋町で6戸を焼失する。火事
5月8日酒田町長中村弘の主催を以て、本間四郎三郎光丘翁贈位祝賀会を下日枝神社境内で開催し、翁の小伝を編纂して参列者に配る。
5月27日飛島の中村で15戸、26棟を焼失する。火事
7月1日最上川改修事務所を鵜渡川原山居に移す。(酒田港誌)
7月31日内務技師坂上丈三郎(東大工科卒)が最上川改修事務所に就任する。(右に同じ)
8月20日本町四丁目に白崎医院が開業する。
8月酒田築港の件が県会を通る。
8月内務省が酒田築港を最上川改修工事に付帯して、10ヵ年計画で着工する。計画は野村年主任技師による。これにより下瀬(中島)に住んで開墾していた8戸と地主で牧場と牛乳店を経営していた田村善太郎等は移転する。
8月宮野浦灯台の無灯不動白色光をアセチレンガス明暗紅光に改める。
8月本間光丘の功績を永く記念するため町会の決議で長坂の松林を光ケ丘と改称する。
8月光ケ丘グランドが竣工する。
8月17日慶応義塾々長、鎌田栄吉が来酒し、村上屋に宿る。翌日郡会議事堂で講演する。
8月25日衆議院副議長浜田国松一行が来酒し演説会を開く。
8月27日内務技師査定官工学博士茂庭忠次郎が来酒する。
10月31日山形歩兵第三十二連隊と仙台歩兵第四連隊による秋季機動演習が三日間行われ、庄内全域で演習を行う。
10月山居倉庫が本楯・遊佐に支庫を設ける。
11月本町三丁目に出羽銀行が創立される。頭取、池田藤弥。
12月6日本楯駅が開業する。
12月16日真言宗智山派管長、伊藤宗盛が没する。76歳。上小路伊藤吉右衛門の二男、幼いときから仏門に入り、明治43年3月9日選ばれて真言宗智山派第四十八世の管長となる。のち隠退して埼玉県比企郡南吉見村明王院に寂す。(酒田港誌)
12月酒田町会の決議により町史編纂委員4名、顧問1名を嘱託する。主任阿部正己、委員白崎良弥・佐藤良次・斎藤梅太郎、顧問本間光弥。
酒田米穀取引所の子会社として、酒田運輸倉庫株式会社が創立される。資本金10万円。
西荒瀬鮭漁業生産組合が設立する。(西荒瀬の鮭)
漆曽根舟止で、「稲荷神」の石碑や曲玉、古鏡等を出土する。
この頃光ケ丘グランドで盛んに自転車競争が行われる。のちには日和山公園グランドで行われる。佐藤吉郎や酒商前の富樫(通称ダロ)等の名物選手が活躍する。