元号年 | 年 | 月日 | 事項文 | キーワード |
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大正9年 | 1920 | 1月6日 | 南千日堂前郵便局を北千日堂前郵便局と改称する。 | |
| | 3月10日 | 青塚恒治が消防組頭となる。 | |
| | 4月15日 | 県立酒田中学校を旧亀ケ崎城跡に創立する。初代校長筧舜亮。 | |
| | 5月 | 雑誌「牧童」が発刊される。編集者、樋口喜一。 | |
| | 7月 | 酒田町青年団を創立する。 | |
| | 8月5日 | 生石で13戸を焼失する。(県警史年表) | 火事 |
| | 8月15日 | 斎藤美澄著『贈正五位本間四郎三郎光丘翁事歴』を刊行する。(市史史料篇五) | |
| | 8月 | オリンピック、アントワープ大会(ベルギー)に、マラソンの日本代表として茂木善作(本楯出身)が参加し、20位を記録する。大正10年6月には第5回極東選手権競技上海大会のマラソンレースに日本代表として出場し第2位入賞。その後水戸高校(旧制)、旅順工科大学予科、吉林師道大学の教授を歴任、昭和49年12月没、82才。昭和40年11月本楯で茂木駅伝が始められ、その後、毎年茂木マラソンや駅伝が実施される。 | |
| | 9月1日 | 善光寺大本願玉誉智栄が酒田に来錫する。 | |
| | 9月26日 | 朝6時ごろ、宮野浦地内最上川渡船場において、工事人夫や行商人45、6人を乗せた渡船が強い西風を受けて転覆、数日来の雨で増水していたこともあって27名が溺死する。 | 事故 |
| | 10月14日 | 築港費地元負担額が50万円に決定する。 | 港 |
| | 10月18日 | 最上川治水起工式をあげる。(酒田港誌) | 港 |
| | 10月31日 | 本間家の応援のもとに今町に自彊舎の建物が完成する。同11年6月財団法人酒田報恩会と改名、同14年託児所設置、昭和3年託児所建物竣功。昭和27年社会福祉法人となる。 | |
| | 12月5日 | 上市神小公園に「記念碑」がたてられる。中里重吉題額・本間光勇撰文・土屋久朝書。 | |
| | 12月13日 | 市制調査会委員会を町役場で開く。(酒田港誌) | |
| | 12月 | 今町の産科医桜井晋は多年郡内の産婆養成に尽したので、飽海郡産婆会はその功績を記念し、妙法寺に報徳碑を建てる。本間光彌の篆額、須田古龍撰文並びに書。 | |
| | | 新潟・酒田間定期航路は、鉄道開通により廃止する。 | |
| | | 本間光輝が嗣子光彌とともに、荘内育英会を創立する。庄内藩主酒井忠勝入部三百年祭を機として、本間光輝は嗣子光彌とともに、財団法人荘内育英会を創立し、酒井忠良伯爵を総裁とする。その後、年々多数の人材を養成する。(酒田港誌) | |
| | | 船場町の本間幸四郎が本間自動車商会を設立し、酒田にタクシーが走るようになる。 | |
| | | 世帯数4,150、人口25,681人。 | |