昭和4年(1929)

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昭和4年19291月13日日和山公園内の招魂社近くに建設された在郷軍人会館の落成開館式が行われる。
3月2日小作争議が県下各地に頻発し特に庄内・村山に多発する。(県警史年表)
庄内耕作連盟が分裂、渋谷派は全農県連(小島派)と合同する。
3月11日光丘文庫に庄内盲人点字読書会を付設する。これは本間家救盲の精神と橘周存の働きによることが大きい。現在も酒田点字読書会として続いている。点字図書蔵書数295冊。
4月1日鵜渡川原村を酒田町亀ヶ崎区として合併する。このため人口が31,774人となる。
4月1日主に金物類を扱う店としてト一屋が上中町角に開業する。
4月15日旧鵜渡川原村立小学校の位置に町立亀ヶ崎小学校を設置し、高等小学校を併置する(酒田市議会年表)
4月15日酒田町立亀ケ崎農業補習学校を町立亀ヶ崎尋常高等小学校に設置する。(酒田市議会史年表)
4月21日鵜渡川原郵便局を酒田横道町郵便局と改称する。
4月24日盲人教育の功労者橘周存の寿碑が安祥寺境内にできる。
4月26日酒田駅前郵便局が三等郵便局として業務を開始する。
4月上水道事業が認可される(工事費85万円)
5月12日上水道布設工事を始める。計画給水人口25,000人、配水量1日5,500立方メートル。
5月大正14年に一度焼失した県立酒田高等女学校の同窓会館が落成する。
5月牧師三浦鉄造が教会の自給独立(海外教会からの経済的独立)を宣言する。
6月1日町会議員選挙(定数30人、立候補者40人)が実施される。
6月1日内閣嘱託国府種徳より、光丘文庫に記念品を寄附される。金沢市に生まれ、犀東と号し、つとに文豪を以て聞える。寄附の記念品は、大正・昭和の大禮使嘱託として奉仕の際、下賜された大嘗祭儀用奏任官、衛門参進束帯服装壱組・黄金造太刀壱振・弓・平胡籙・箭その他附属品一切、合計18点(現在資料館蔵)。この前後しばしば来酒して講演する。(酒田港誌)
6月24日酒田港が第二種重要港湾に指定され、翌月25日酒田商工業組合連合会主催で、記念として最上川で花火をあげる。その後、毎年川開きとして続けられ、現在の港祭となる。
6月赤川支川と内川の合流点開放の計画を変更し、将来の計画をたてる。赤川支川と内川の合流点は単に開放するの計画だったが、本県の希望により、これを変更し、内川合流点を遞下し、鶴岡市内の氾濫を防止することとした。その工費21万円は本県において材料労力その他10万5000円を負担し、残餘10万5000円は既定予算の範囲内で施行することとする。赤川支川は流末である西田川郡袖浦村大字黒森地内の大屈曲箇所において、西山砂丘を貫き、長さ2,800メートルの新水路を開さくし、同川を海に放流させようとする。このため、上流洪水の停滞時間を短縮するの効果は著しいものがあると期待された。
最上川河口は酒田港と全然分離して南に移し、右岸新堤は酒田市対岸中洲の延長上に築き、本流と酒田港の連絡には閘門を設け、右岸に防波堤を設け、左岸に防砂堤を築造する。また酒田港は港口において、中央突堤と相対して防波堤を築き、漂砂の侵入を防ぐとともに、港内は浚渫して沿岸を埋立て、かつ適当の護岸工事を施すものとする。(酒田港誌)
7月24日文豪徳富猪一郎(蘇峰)が東北地方漫遊の途次、光丘文庫で講演する。(人間界と自然界)文庫の図書、古文書閲覧中、期せずして集ったもの数百人に対し一時間余にわたって熱弁を奮い、聴衆に深い感動を与える。
7月24日今町の小松屋菓子店が夏の夕方から店の庭先で「夏の喫茶部」を初めて開店する。アイスクリームやアイスコーヒーを飲みながらレコードを鑑賞することができた。昭和12年に戦争で途絶えたものの、戦後復活してしばらく続いた。
7月25日琢成第二尋常小学校において、酒田重要港湾編入祝賀会を開催する。
7月31日東大教授理学博士田中茂穂が来酒する。博士は我国魚族学の権威者。かつて光丘文庫附属庄内博物学会の顧問に推され、この日文庫において魚族標本の整理を行い、8月1日これに関する講演をする。
7月31日大地主本間光弥が没する。54歳。本間家七代光輝の長男、資性温厚にして、博学多才特に書に長じた。農事改良を企図し、飽海郡耕地整理組合の副長となり、のち組合長となる。なお明治43年父とともに資本金七万二千円の信成合資会社を設立する。晩年国立倉庫敷地寄附、その他を以て紺綬褒章を賜わる。荘内育英会を創立。大正12年には光丘以来の蔵書と10万円を光丘翁頌徳会に寄附して光丘文庫を設立させた。(酒田港誌)
9月阿部正己が『伊藤鳳山』を刊行する。
10月(財)山形県教育会総集会において、御製「もがみ川」に曲譜を付して山形県民歌とすることを満場一致で議決する。作曲東京音楽学校(現東京芸大)教授島崎赤太郎。
11月11日酒田裁縫女学校校舎竣工式が行われる。
11月6日全農山形県連(旧全日農系)が庄内耕作連盟の一部とともに山形県農民組合を結成する。
11月酒田拘置所を酒田刑務所と改称する。
11月東平田村に柳沢溜池ができる。
11月内務省最上川改修事務所では坂上丈三郎主任指導のもと冬枯れで水量の減じた時期を利用して今の体育館付近で最上川をせきとめ、港と川を分離する工事を開始する。浚渫船は最上号と砂潟号で、他にトロッコを用いた。
12月21日自治功労者菅井惣左衛門が没する。79歳。惣次郎。遊摺部村菅井惣左衛門の長男として生まれる。明治14年12月県会議員に選ばれる。余目乗慶寺に葬られる。
酒田に初めて社会科学研究会が生まれ、マルクス思想の研究を行う。会員40名うち10名は女性。
酒田商業が庭球の北日本大会で団体3位、個人優勝を果す。(酒商八十年史)
飛島で石器・縄文土器を発掘する。(酒田市制50年)
この年大豊作。