昭和9年(1934)

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昭和9年19341月最上川改修工事に伴い、新堀村水害予防組合がつくられる。
1月~3月県内各地に流行性感冒が蔓延、酒田で1,673名の患者が発生、うち2名が死亡する。病気
3月中央座の後ろの祖父山下通りに佐藤三郎が純喫茶「ひいらぎや」を開店する。酒田のコーヒー店の元祖という。その二階は「麻雀クラブ」になっていた。
4月16日酒井新田尋常小学校に高等科が設置される。
4月22日南平田村大字山谷字滝谷出身の「志士斎藤元宏君之碑」を日和山公園に建てる。現在は招魂社境内にある。
4月25日西田川郡袖浦村赤川渡船場において、黒森掘割の人夫15名を乗せた渡船が転覆し、濁流にのまれ、11名は救助されるも、4人が行方不明となる。事故
4月酒田市農会が創立される。初代会長本間元也。
4月市内各学校で欠食虚弱児童への給食を実施する。(酒田市議会史年表)
5月8日北鮮定期航路船、島谷汽船会社の笠戸丸(2,424トン・乗客定員195人)が第一回の入港をする。船長永田輝登らを迎えて盛大な歓迎会を催す。
5月26日酒田駅の改築工事竣工落成祝賀式が公会堂で行われる。(前年12月に着工)
5月前年3月をもって店舗が撤去された柳小路に4つの小公園が整備される。
6月6日本町一丁目(稲荷小路)に金光教酒田教会ができる。初代小池澄男。(岡山県出身)
6月9日酒田商業の学生が物販を行う第1回「酒商デパート」が開催される。(酒商八十年史)
6月20日酒田体育会主催、北文堂と報知新聞販売店後援で、日和山公園で第1回酒田市民運動会が開催される。
6月29日柳小路に公衆トイレが設置される。
7月光丘文庫長白崎良弥が『酒田港誌』を著わす。
8月31日教育者、成沢直太郎が没する。67歳。鶴岡の人。飛雪と号す。明治41年中等学校教員検定に合格し、酒田高等女学校教諭となる。その後旅順師範学校、新庄中学校に奉職する。同37年4月寺内等曜と図って酒田書籍購読会をつくり、まもなく飽海郡会議事堂の一隅を借りて酒田文庫を開設した。酒田文庫は私立酒田図書館に成長し、電気作業所と海晏寺瑞泉庵を借りて一般の閲覧に供する。
9月19日本町五丁目南側に洋式2階建の商工会議所が竣工する。
9月21日室戸台風が酒田沖合を通過し県内に大暴風が発生する。(酒田市制50年)
10月8日港座で拳闘大会が行われる。
10月31日臨時県会開催。凶作対策費107万円の追加予算を組む。大凶作による人身売買も多くなる。
10月この年天明・天保以来の大凶作となる。春の融雪遅延と7月から9月にかけての寡照・霖雨・霖冷による冷水温、さらに8月11日と9月21日の暴風や稲熱病の発生が主原因となり、平年作の40%減収となる。
11月3日中平田尋常小学校校舎改築工事が落成する。
11月3日中野曽根皇大神社境内に「開邑之碑」がたてられる。飽海郡農会長本間光勇撰並書
この年亀ヶ崎小学校において、県主催の郷土教育研究発表会が授業研究と一緒に行われる。琢成小学校で土田一郎等が編集した『琢成読本』三巻がある。(酒田市制50年)
庄内各組合による農業倉庫の建設が始まる。(庄内経済連25年のあゆみ)
中央突堤と船場町の岸壁が完成する。
袖浦村の袖浦橋が竣工する。
失業応急道路改修工事を始める。(酒田市議会史年表)
この年酒田職業紹介所に女子の求人申込みが殺到する。(上郷村通牒)(松山町史年表)