元号年 | 年 | 月日 | 事項文 | キーワード |
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昭和10年 | 1935 | 3月24日 | 前年12月から実施していた日和山公園グラウンド拡張工事が完了する。 | |
| | 4月14日 | 片町に交番ができる。 | |
| | 4月28日 | 新徴組士、千葉弥一郎が没する。88歳。鶴鳴。明治26年、鶴岡から酒田に転居し、後年は新徴組を知る生き証人として多くの史実を発表し、貴重な存在といわれた。 | |
| | 5月 | 本間家が3千人の小作人へ凶作見舞として玄米一俵宛をおくる。 | |
| | 5月 | 雑誌「瑞穂」が発刊される。編集者、甲崎環。 | |
| | | 前年11月8日午前8時頃、当時の朝鮮郵船株式会社の羅南丸が佐渡沖合で遭難し、乗員39人全員が溺死、そのうち27人が朝鮮人であった。その後、遺体は庄内沿岸に漂着したが、身元確認不可能のまま火葬に付され、無縁仏として葬られた。当時の酒田運送株式会社社長根上善造らが発起人となり、その霊を弔うため大信寺境内に立派な「羅南丸殉難碑」を10年5月に建て、除幕式を行う。 | |
| | | 大宮白鳥神社東方に「開田記念」がたてられる。本間光勇篆額並書・和島喜與太郎撰文。 | |
| | 7月22日 | 琢成第一尋常小学校の外野町から浜田地区への移転改築工事着工。工費18万4千円。(酒田市議会史年表) | |
| | 8月13日 | 図書研究家森銑三が光丘文庫の蔵書研究調査のため来酒する。その後、甲崎環と親しくなる。(上に同じ) | |
| | 9月1日 | 文芸雑誌「骨の木」が発刊される。編集者、佐藤三郎。18年廃刊となる。同人は鈴木泰助・佐藤三郎・佐藤四郎・佐藤十弥・藤井英治・梅木米吉等。 | |
| | 10月1日 | 国勢調査、世帯数6,374戸、人口31,870人。(酒田市議会史年表) | |
| | 10月4日 | 文芸評論家千葉亀雄が没する。58歳。江東・莫秋・霹靂火、琢成小学校長として人望を集めた教育者千葉恒平の次男として鵜渡川原村に生まれる。文化学院・立教大学の教授を務める。国民・時事・読売・大阪毎日・東京日日の各新聞社の記者や編集局長等を歴任する。東京多摩霊園に葬られる。 | |
| | 10月25日 | 琢成尋常高等小学校高等科で「琢成デパート」を開催し、3日間で16,500人の入場者、6,000円超の売り上げを記録する。 | |
| | 10月 | 荘内博物学会が「荘内博物学会研究録」を発刊する。 | |
| | 12月7日 | 制作東京美術学校教授、建畠大夢、題字山本達雄内務大臣、撰文徳富猪一郎貴族院議員による政治家池田藤八郎の銅像除幕式が市役所前で行われる。 | |
| | 12月16日 | 北千日堂前電信電話共用回線が開通する。 | |
| | 12月20日 | 酒田電報電話局で共電式改式のため新庁舎を起工する。 | |
| | 12月 | 酒井忠悌らが中心となり、荘内松柏会が創立される。 | |
| | | 広野村に恩賜郷倉5棟を建設する。(農業生産組合のあゆみ) | |
| | | 本間家の小作地管理を昭和会社で行うと遊摺部の小作人に通告したことから、争いとなる。(庄内農民運動史) | |
| | | この頃三越・白木屋などの大デパートと結んで、酒田木工品の中央進出をはかる。 | |
| | | 勝浦西岸の大謀網に初めて成功する。(飛島誌) | |
| | | 飛島で小型発動機船3艘を買い入れる。(上に同じ) | |
| | | 飛島水難補習学級が設置される。(上に同じ) | |
| | | この頃、芸者が53名もおり、唄・踊り・三味線・鳴物などの芸事だけでなく、お花やお茶も習っている。(酒田すがた) | |
| | | この頃、琢成第一尋常小学校で「郷土よみもの」(天籟の巻、南窓・北窓の巻、天巧の巻)を発行する。 | |
| | | 凶作応急工事として、工事費600余円で市道戸沢町線の道路改修工事施工。工費1,200円で鵜川用水路の浚渫並びに護岸工事を完了。その他の災害応急工事施工、工費666円。(酒田市議会年表) | |