昭和11年(1936)

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昭和11年19361月佐藤十弥の詩集『かられらる物語』が刊行される。
2月南千日町生まれの本間悌次が、満洲医科大学在学中に第4回冬季オリンピック(ドイツガルミッシュ・パルテンキルヘン大会)ヘ全日本アイスホッケーチームのゴールキーパーとして出場する。
2月22日酒田市消防組織変更の件(常備消防部の設置の関係上、事件決議を要するもの制服・自動車ポンプ・水管・部長1名・消防手12名)を市議会に提出する。
2月庄内地方50年来の大雪。埋没家屋が続出する。(平野史年表)
3月17日酒田署管内の大本教信者が一斉捜索を受ける。
3月26日実小路に酒田逓信診療所が開所する。
3月西埠頭(三千トン岸壁)が竣工する。
3月酒田区裁判所構内に明治天皇聖跡記念の碑を建立する。
3月27日電話事務庁舎が新築落成する。鉄筋コンクリート3階建、延建坪417坪70・総経費155,425円。
4月19日本町通りの舗装工事が始まる。
5月7日朝鮮の女性舞踊家、崔承喜の新作舞踊発表会が北文堂主催により公会堂で行われる。
5月21日広野出身の明治大学学生熊谷悌司が飛行機で郷土訪問し、最上川を埋め立てた空地に着陸し、大歓迎を受ける。
6月29日酒田警察署特高課では渡辺濱子の流行歌「忘れちゃ嫌よ」が退廃的なメロディだとして、市内のレコード店、カフェーから数十枚のレコードを押収し、演奏を厳禁とする。
7月1日初旬放浪流転の俳人種田山頭火が死に場所を求めてのみちのく旅行中、酒田にくる。
 はてしなくさみだるる空がみちのく
 いつまでも死ねないからだの爪をきる
天正寺町のやまぐち屋で酒を飲み、酒代がわりに俳句を書いていったという。
7月4日前年10月末に工事着手した県立酒田中学校の明道館道場の落成式を関係者約500名出席のもとに行う。建設費用1万5,150円。
7月5日事業家榊原政雄が没する。60歳。図南、大宝寺村に生まれる。明治35年東北学院神学部卒業。同年牧師となり酒田に居住し布教に従事する。その後、満洲に渡り、大連タイムスや満洲日日新聞の記者として活躍し、張作霖から奉天付近の土地を購入し、北陵と交換してここに榊原農場を経営する。
7月実生橋が完成する。
7月7日琢成第一尋常小学校(現、浜田小学校)を浜田に新築落成し移転する。
7月8日酒田美術協会が宇八で発会式を行う。
7月13日酒田航空研究会が発会式を行う。
7月酒田短歌会が歌集『灑塵』を刊行する。
8月5日東京新宿の「ムーランルージュ新宿座」が港座で公演を行う。
8月5日4日午前、鳥海山登山に出発した琢成尋常高等小学校高等科女子生徒4名と付添3名が暴風雨にあい、同校の教師11名が救援に出る遭難騒ぎとなるも、6日午前10時頃に無事発見される。
8月16日電話局で磁石式交換機を共電式に変える。総経費342,808円。電話加入者702名。
8月新両羽橋が竣工する。橋長714メートル、当時日本第6位。これにより中瀬の渡は廃止となる。
8月24日昭和9年2月に提出された意見書を受け、3路線からなる市営バスを運行するため、市会で市営乗合自動車使用条例ほか2件の議案を可決する。鉄道省に申請するも結果的に認可は下りず。
9月酒田市防護団の発会式を挙行する。(酒田市議会史年表)
10月4日北千日堂前から出火、西荒瀬村酒井新田及び元泉にも延焼し、18世帯、26棟を焼失する。火事
10月22日県下4市1町で初の防空演習が行われ、1174人の市防護団員参加のもとにこの日から3日間の演習を行う。その予行演習として、15日に灯火管制予行演習、19日に防空演習予行演習を実施している。
10月30日秩父宮雍仁殿下、同妃殿下が来酒する。山居倉庫・日和山公園・農林省酒田米穀事務所を視察、本間家別荘に泊られる。
11月7日袖浦村字七窪に設置された県立農事試験場砂丘試験地の開場式が行われる。
11月13日勅令で方面委員制度を実施する。(酒田市議会史年表)
11月消防組常備消防部が設置され佐藤熊蔵が部長となり、警防団常備部から消防団常備部と変り、同24年4月常備部が消防署となる。
11月雑誌「鳩笛」が発刊される。編集者、池田正蔵。
全国中等学校絵画美術展で酒商四年生の岡部敏也の「木蓮」が入賞する。
飛島で潜水によるアワビ採捕が始まる。(飛島誌)
市内36ヵ所の共同井戸を廃棄する。
日和山公園運動場の改修工事が行われる。(酒田市議会史年表)
人口34,644名。