元号年 | 年 | 月日 | 事項文 | キーワード |
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昭和17年 | 1942 | 2月1日 | 一県一紙制の国策により山形民報・米沢新聞・鶴岡新報・酒田毎日新聞が山形新聞に吸収合併される。 | |
| | 2月3日 | 「家庭雑貨商業組合」が誕生する。(酒田市議会史年表) | |
| | 2月15日 | シンガポールが陥落し、旗行列をして祝う。 | |
| | 4月30日 | 翼賛総選挙が行われる。 | |
| | 5月1日 | 酒田市航空青少年隊発会。酒中、酒商生徒の勤労奉仕により宮野浦にグライダー滑空場をつくり、格納庫を新築する。酒田では全国にさきがけて宮野浦でグライダー練習を始めている。酒田航空研究会が中心になっていた。 | |
| | 5月30日 | 「酒田家具工業組合」が誕生する。(酒田市議会史年表) | |
| | 6月 | 青塚恒治が第二代市会議長となる。 | |
| | 6月10日 | 翼賛市議会選挙が行われる。 | |
| | 7月1日 | 秋田町に飽海地方事務所がおかれる。初代所長、平塚二郎。 | |
| | 7月 | 外野町に酒田市国民共同勤労所が開設する。(酒田市議会史年表) | |
| | 7月 | 船場町に酒田港湾株式会社(現酒田海陸運送株式会社)が設立される。 | |
| | 8月 | 天王下に帝国石油株式会社山形鉱業所が設置される。 | |
| | 8月10日 | 公会堂にて酒田音楽院主催による加藤千恵独唱会が開催される。 | |
| | 9月4日 | 田園詩人荘司修理之助が没する。56歳。吟竜。手蔵田村の農業庄司勝助の長男として生まれ、漢学者須田古龍について漢詩を習う。師古龍を経済的に助けた。たびたび「万朝報」や「東京日日新聞」に投稿して岩溪裳川・土屋竹雨ら一流漢詩人の知遇を得て親交を結ぶ。没年までの約30年間に500篇にのぼる作品を残したが、中でも「田家百絶」は有名である。手蔵田長淵寺に葬られる。 | |
| | 9月 | 荒木誠一が第六代商工会議所会頭になる。 | |
| | 9月 | 国道7号線工事が完成する。 | |
| | 11月 | 酒田に食糧営団がつくられる。 | |
| | 12月8日 | 県信用販売購買利用組合連合会が設立する。(庄内経済連25年のあゆみ) | |
| | 12月 | 山形県農産物検査所を山形県食糧事務所と改称する。 | |
| | | 毎月8日を大詔奉戴日として各学校等では奉戴式を行う。 | |
| | | 中等学校生徒による農村への泊りこみ勤労奉仕や工場等への長期勤労奉仕が盛んに行われる。 | |
| | | 兵器生産のため金属の回収が行われ、持地院の大仏、各寺院の梵鐘等を供出する。ただし、光丘文庫の銅版屋根、天満宮の時鐘、林昌寺・海向寺の梵鐘は供出を免れた。 | |
| | | 酒商に職員や生徒の勤労奉仕によりグランドが完成する。(酒商八十年史) | |
| | | この頃、兵士の出征が相次ぎ、そのたびに駅頭には小学生・中等学校生・愛国・国防両婦人会や一般市民が日の丸の旗を振って歓呼して送った。出征兵士は八雲神社で祈願し、そこからは歩いて駅に向った。先頭には酒中や酒商のブラスバンドがついた。 | |
| | | 戦死者も多くなり、無言の凱旋をした。そのつど市民は駅に出迎え、しめやかに奉公義会葬をいとなんだ。 | |
| | | 配給物資(菓子・練炭・豆炭・薪・揮発油・石けん・鶏卵・食用油・澱粉)。(酒田市議会史年表) | |
| | | 飛島の大宮神社を小物忌神社と改称する。 | |
| | | 中瀬橋の改修工事を行う。(酒田市議会史年表) | |
| | | 地方自治や教育功労者小野寺源太が没する。鵜渡川原の人。亀ケ崎小学校長として在職。独特の個性による学校経営は郡内随一と評された。十一面観音堂の研究に没頭した。晩年失明する。 | |