昭和23年(1948)

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昭和23年19481月酒田港が全国14港湾とともに開港場に指定される。税関支署を小幡洋館2階に置き、のち日和山公園地内に新築する。
1月16日本町四丁目19番地に公立酒田病院の附属診療所が設けられ、外来患者の診療にあたる。
1月23日酒田市公安委員に本間祐介・小池澄男・小柴健治郎(医師)が選任される。(酒田市議会史年表)
2月18日酒田市社会教育委員会が発足する。(上に同じ)
3月雛祭、ひな人形展が本間美術館で行れる。(3月3日~14日)。以後、毎年の行事となる。(本間美術館の37年)
3月23日酒田工芸指導所を開設する(授産所)。(酒田市議会史年表)
3月31日県立本楯高等学校が創立される。初代校長、富永徳治。
3月警察制度の改革により同庁舎内に国家地方警察と自治体警察がおかれる。
4月女子高等学院が海晏寺に移校する。(酒田市議会史年表)
4月1日酒田琢成高等女学校を酒田市立高等学校と改称する。
4月酒田第一(旧酒中)第二(旧酒商工)第三(旧酒高女)を高等学校と改称する。
5月1日午前零時を期して夏時間(サマータイム)が実施された。夏期間だけ時計の針を1時間だけ進めて生活したもの。26年9月7日をもって廃止となった。
5月29日社交会館「グリーンハウス」(のちの映画館)の開館記念招待演芸大会(第一部独唱、山本つや子、加藤千恵、第二部日本舞踊、長唄、第三部交歓ダンスパーティー)が開催される。名前の由来は「緑濃き初夏の風に幕をひらきさわやかにスタートしたのを記念」したもので、会館内は濃淡の緑色で塗られていた。(「週刊ステージ」第2号)
5月船場町へ酒田海上保安署が設置される。
5月酒田市農業協同組合がつくられる。
6月1日「酒田市民ニュース」が発刊される。発行者、白井昇三郎。
6月海晏寺方丈広瀬智文・市職員荘司武夫らが戦後の人心荒廃を立て直そうと正法会をつくる。やがて、小浜市発心寺師家原田大雲祖岳・同原田雪水を師家とする坐禅会となり大雲会庄内支部となる。この会から海晏寺参禅会・永運寺滴眞参禅会に発展し、佐藤正眞を師家として現在に至る。
6月7日市役所に市議会事務局を設置する。
6月30日海晏寺境内に県立酒田聾学校(松田千松校長)が設立される。
6月社会運動家、政治学者、大山郁夫が来酒し、琢成小学校で大演説会を開催する。のち本間美術館を訪ねる。
6月飛島航路標識事務所が設置され、灯台がおかれ、点灯を開始する。
6月財団法人酒田天真高等学校設立。初代理事長斎藤又治。
7月酒田港湾協会がつくられる。
7月酒田港が復興し、戦後、宗徳丸が初めて入港する。
7月第一中学校が竣工する。校長、後藤綏。
7月新潟鉄道管理局新潟鉄道公安室酒田分室が設置される。
7月開港指定、税関開署祝賀行事が行われる。(酒田市議会史年表)
7月23日社会党々首片山哲が来酒し、琢成小学校で講演会を開く。のち本間美術館を訪れる。(本間美術館の37年)
7月31日中平田村大字勝保関に平田地区農業改良普及所を開設する。管轄区域は中平田村・北平田村・東平田村・南平田村。
8月庄内経済農業協同組合連合会がつくられる。
8月14日本間美術館主催の第1回ラジオドラマコンクール(於庭園)に酒田第三高校の「登山記」が第1位となる。(本間美術館の37年)
8月15日庄内経済連は山居賃貸倉庫株式会社と倉庫賃借契約、財団法人北斗会と倉庫使用契約を締結する。(庄内経済連25年のあゆみ)
8月本間美術館が土曜(定例)庭園レコードコンサートを開催する。8月21日(スペイン音楽)28日(アメリカ音楽)。(本間美術館の37年)
8月県下に日本脳炎が蔓延し、庄内地方で罹患者21人、死亡者8人を出す。病気
9月3日前田製管株式会社を片町に設立する。社長前田巌。
9月20日三重苦の聖女ヘレン・ケラーが来酒する。琢成小学校で開かれたヘレン・ケラー女史歓迎県民大会に足を運んだ。会場には3千人あまりの聴衆にまじって山形、秋田、新潟の各県から身障者生徒や付き添い300人の姿も見えた。女史はその後本間美術館を訪ね、美術品を鑑賞した。このとき光丘文庫蔵の点字本を陳列し、その由来を説明したところ非常に感銘されたという。
10月15日アイオン台風来襲、最上川右岸堤防が決壊し、浸水家屋が出る。
10月酒田市国民健康保険組合が酒田市公営になる。
11月15日第1回庄内二市三郡学校生徒絵画手芸展が本間美術館で行われる。(本間美術館の37年)
11月根上善造が第8代商工会議所会頭になる。
12月12日全国販売農業協同組合連合会が設立する。
12月18日酒田警察署の増改築が竣工する。(酒田市議会史年表)
酒商工に(定)夜間課程が併置される、生徒数1年生(商・機・化)118人。2年生(機・化)37人。3年生(機・化)31人。(酒商八十年史)
光ヶ丘に初めて市営住宅第一厚生寮が建てられる。
大字広野新田末広部落がひらかれる。
山居下瀬中島橋及び升形線新内橋の修築工事が完成する。(酒田市議会市年表)
本間家では農地改革実施により所有農地を買上げられる。(市史史料篇五)
最上堆が有望漁場となる。(飛島誌)
この頃、本町七丁目北側の吉田菊代がビリヤード(撞球場)を開業する。新町俵屋とか鹿野牛乳のすすめによるものという。
この頃農村工業事件が起きる。農村の工業化をはかり、東京からミシン製作機械を北平田、新堀等各農業会(のち農協)の出資で購入したところ、計画と違い、大損害を負った。
この年大豊作。