元号年 | 年 | 月日 | 事項文 | キーワード |
---|
昭和24年 | 1949 | 1月 | 山形家庭裁判所酒田支部がおかれる。 | |
| | 1月 | 酒田演劇グループ「人形座」発足。旧臘12月24日夜、本間美術館のクリスマスに、佐藤十弥作「仲わる兄弟」三幕と、佐藤七郎翻案「アリババ物語」四幕を第一回公演した。(本間美術館の37年) | |
| | 2月20日 | 酒田将棋連盟ができる。会長佐藤公太郎。同年6月7日に日本将棋連盟酒田支部となる。 | |
| | 2月21日 | 郵便局から電話局と電報局が分離される。 | |
| | 2月 | 第三中学校が竣工する。校長、星川清吉。 | |
| | 2月22日 | 海外引揚者更生会代表大口靖太より、市会議長あてに「露店許可斡旋嘆願書」が出され、いろいろ審議のすえ、進駐軍の命令もあって柳小路マーケットにまとめることになった。このとき主導権を持っていたのは「神農露店組合」いわゆる露天商の人たちで、その親分格の山田正信はのちに市会議員となる。物資不足の折柄、この柳小路マーケットは、大いに賑わった。当時の市民にとって忘れられない思い出の場所となったが、昭和51年の大火直前に姿を消した。 | |
| | 3月1日 | 酒田スキー連盟主催、第1回鳥海スキー大会が行われる。(3回まで続く) | |
| | 3月22日 | 酒田公共職業補導所内に山形県立酒田工芸指導所が設けられ、デザインの改良、塗装法の改善等を行う。 | |
| | 3月 | 飽海地方事務所内に飽海教育出張所が設置される。 | |
| | 3月 | 新町光ヶ丘に米田物産酒田工場が設置される。 | |
| | 4月 | 上田村と本楯村の組合立鳥海中学校が開校する。校長、石垣栄治郎。 | |
| | 4月 | 消防制度の改革により、酒田市消防本部と酒田市消防署が設置される。本間重三が市長兼務で初代消防長、佐藤熊蔵が初代署長となる。 | |
| | 4月 | 最上川の袖浦渡船場が県営となり、渡し賃が無料となる。 | |
| | 4月 | 藤井里女が東京で立正佼成会に入信、帰酒後、まずその母が入信し、その家(上台町藤井康太郎・里女の生家)に法座所(連絡所)を設ける。44年相生町に仮道場設置。56年東泉町に道場を移建する。 | |
| | 4月 | 酒商に初めて女子生徒が入学(16人)する。(酒商八十年史) | |
| | 4月 | 第一回全日本華道展が文部省主催で、東京松坂屋会場で開催され、安達式挿花で石垣建潮の作品が入選する。翌年9月、商工会議所で入選祝賀記念展が開かれる。酒田における安達流のはじまり。 | |
| | 5月9日 | 教育功労者樋渡寿が没する。63歳。南行素人、峙境亭。樋渡伝蔵の長男として飽海郡山寺村(のちの上郷村現在の松山町地内)に生まれる。酒田商業学校の英語や数学の教師を務め、退職後酒田の富豪本間光弥に招かれて教育、外交に従事、大正13年光丘神社の創建に尽瘁した。松嶺総光寺に葬られる。 | |
| | 5月15日 | 「公報さかた」一号を発刊する。(現「私の街さかた」) | |
| | 5月17日 | ダンスホールを改造して、洋画専門の映画館として柳小路にグリーン・ハウスが開館する。のちには日本一の小型洋画専門館と稱される。 | |
| | 5月20日 | 日本有機株式会社が花王石鹸株式会社と改称する。(酒田市議会史年表) | |
| | 6月 | 日本専売公社酒田出張所となる。 | |
| | 6月 | 県営で新井田川改修工事を始める・浜田・新橋・鶴田の木橋もコンクリートの永久橋に改造された。 | |
| | 6月 | 酒田海上保安署に巡視船「みずとり」が配属される。 | |
| | 6月 | 酒田刑務支所を酒田拘置支所と改称する。 | |
| | 6月 | 法務庁設置法の規定により山形司法事務局酒田出張所は山形地方法務局酒田支局と改称する。 | |
| | 7月9日 | 酒田市青年団連絡協議会が結成される。(酒田市議会史年表) | |
| | 7月 | 大町で6棟を類焼する。 | |
| | 8月10日 | 篤農家小林助吉が没する。70歳。浜中村に生まれる。砂丘地農業に桃・梨・ぶどう・洋梨等の果樹裁培を取り入れる。浜中正常院に葬られる。 | |
| | 8月24日 | 酒田市最大の1時間降水量77.8ミリを記録(累年第一位)する。 | |
| | 8月31日 | ~9月1日にかけて暴風雨(キティ台風)となる。最大風速19メートル。 | |
| | 8月 | 本間家本宅を借用し、酒田市公民館が発足する。初代館長、本間光太。 | |
| | 9月21日 | 酒田港郵便局が港駅付近で業務を開始する。 | |
| | 9月30日 | 北千日堂前字松境に松陵小学校が設立される。初代校長、伊東善三。 | |
| | 10月27日 | 酒田郵趣会を設立する。初代会長西田祐太郎。 | |
| | 10月 | 酒田税務署の庁舎を本町一丁目6番地に新築移転する。 | |
| | 11月1日 | 児童福祉法に基づく盲ろうあ児施設として、県立酒田青鳥寮(定員22名)が十王堂町海妟寺境内に設置され、松田酒田聾学校長が寮長を兼務する。 | |
| | 11月18日 | 冬の訪れを告げる酒田名物であった大根市が鋏小路と粕谷小路を会場に8年ぶりに再開する。 | |
| | 11月30日 | 酒田港背割堤復旧工事が完工する。総工費2,771万余円。(酒田市議会史年表) | 港 |
| | 11月 | 東平田中学校が竣工する。校長、遠田直弥。 | |
| | 11月 | 下瀬に株式会社酒田魚市場がつくられる。 | |
| | 11月 | 日本交響楽団が初めて来酒し、琢成小学校で演奏会が開かれる。指揮者、山田和男。翌年再び来酒する。指揮者、尾高尚忠。 | |
| | 12月12日 | 自治功労者須藤徳之助が没する。67歳。米屋須藤徳兵衛の長男として生まれる。大正12年9月に推されて県会議員となる。林昌寺に葬られる。 | |
| | 12月 | 小学校の学校給食が初めて実施される。 | |
| | 12月20日 | 前田良太が第5代市会議長になる。 | |
| | 12月 | 船場町に四ヶ浦漁業協同組合が設立され、県漁連の魚市場ができる。 | |
| | 12月 | 新町光ヶ丘に山形地方検察庁酒田支部、酒田区検察庁の庁舎が竣工し移転する。 | |
| | | この年初めて前進座(歌舞伎劇団)が来酒し、その後しばしば来演する。(酒田市議会史年表) | |
| | | 海外引揚者住宅新築工事は10月末着工、11月末完成(5戸)続いて第二次海外引揚者住宅を12月中旬着工(10戸)する。(上に同じ) | |
| | | 統制方式が変わり、4月1日野菜、9月15日石炭が統制からはずされ、衣料品は綿製品や純毛品のほかは解除される。(上に同じ) | |
| | | 本間美術館庭園で市民観桜会が商工会議所主催で行われる。(本間美術館の37年) | |
| | | 酒田琵琶の会が結成される。主催者、錦心流の荒井藍水。昭和29年に錦心流全国一水会酒田支部となる。 | |
| | | 下台町にカクテルバー「若葉」が開業する。バーテンダー脇屋晶春。 | |
| | | 小松清治らが県下にさきがけて「酒田写真ピントクラブ」を創立する。 | |