昭和26年(1951)

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昭和26年19511月酒田港が港湾法により重要港湾に指定される。
1月26日新町のキャバレー、ニュースターで火災が発生し、1名の犠牲者を出した。(酒田市制50年)
2月10日日刊紙「出羽新報」が発刊される。発行者、佐藤三郎。昭和28年12月27日までに計1081号を発行する。その後は「日刊庄内」に引き継がれる。
3月31日小作争議指導者、渡部平治郎が没する。88歳。漆曽根村の地主兼自作農。大正2年より翌3年にかけての凶作と耕地整理後の小作料増徴を機として地主に対する減免運動を起こし、飽海義挙団を組織し、みずから団長となる。山形県内での小作争議のさきがけといわれた。晩年、出家し自宅に大善寺という寺を開く。「義挙団大正義民伝」を書く。船止に碑がたっている。
3月第二中学校が竣工する。校長、黒田五郎。
3月私立酒田天真高を酒田家政高等学校と改称する。(酒田市制50年)
3月大多新田大坪に山形県立酒田家畜保健所が設置される。
4月1日主食配給自由登録制となり、業務一切を市に移譲される。(酒田市議会史年表)
4月1日光ヶ丘の松林内に酒田市養老院がつくられる。
4月1日浜田保育園がつくられる。
4月23日本間重三が市長に再選される。
4月24日詩人加藤千晴が没する。47歳。平治、酒田に生まれる。青山学院卒。戦争中、酒田に疎開、失明の身を克服して詩作や論文、手記の執筆に没頭する。没後、兄丈策の手により多くの遺稿が発表された。著書に詩集『宣告』『観音』『みちのく抄』『厭離庵そのほか』がある。
5月1日東北電力株式会社が設立される。(荘内銀行百年史)
5月7日酒田信用組合(酒田信用金庫の前身)が本町五丁目(日本勧業銀行酒田出張所跡)で営業を開始する。
5月9日市議会議長に前田良太が選ばれる。(酒田市議会史年表)
5月小中島の山形造船所跡地に酒田市母子寮がつくられる。
6月24日作家、里見弴が本間美術館を訪れ茶会に出席する。(本間美術館の37年)
6月新堀中学校の校舎が竣工する。
6月山形県が酒田港の管理者となる。(酒田市議会史年表)
7月13日県下に豪雨、被害甚大。(県警史年表)水害
7月15日飛島の本格的研究書である『飛島誌』を山大教授長井政太郎が編さんし、出版する。
7月20日市町村第一回農業委員会選挙が行われる。(庄内経済連25年のあゆみ)
7月20日酒田海洋少年団が結成される。団長中村亀太郎、団員400名。この少し前に「海の友の会」があった。
7月22日本町一丁目の税務署裏にルーテル同胞教団の教会堂が竣工する。同教団は昭和24年9月にモーリス・ワーダル牧師が酒田を日本で最初の伝道の地に選んだもの。
7月飛島漁港が第四種漁港に指定される。
7月船場町に酒田海上保安部の新庁舎が竣工する。
8月1日午後8時半から中町商店街に中和会が設置したネオンアーチ2基の点灯式が行われる。
8月東平田村の金生沢簡易水道が竣工する。
8月茨野・小牧新田簡易水道の給水が開始される。(酒田市水道50年の歩み)
9月各小学校の給食室の模様替を行い、週5日の給食を実施する。
9月1日実業家久村清太が没する。70歳。今町の表具師久村金蔵の長男に生まれ、東大工科大学に入る。在学中から太陽レザー製造所と関係を持つ。東レザーの技師長となり、人絹製造の研究に没頭する。大正7年帝国人造絹糸(株)に入り取締役、昭和9年社長、同13年国際パルプエ業(株)の社長を兼ねて終戦後は帝人会長や日本化学繊維協会会長となる。昭和3年人絹発明の功により藍綬褒章を受章。善導寺に葬られる。丹羽文雄が書いた伝記小説『久村清太』。著書に『回想』がある。
9月眼科医佐藤清治が没する。トラホーム撲滅に力を注いだ。陶磁器のコレクションで著名、仏教の篤信家で酒田仏教青年会をつくる。十全堂社長や飽海郡医師会長を長年にわたってつとめた。
10月1日社会福祉事業法により市役所内に酒田市福祉事務所がおかれる。
10月20日山形殖産無尽株式会社を改め、殖産相互銀行酒田支店とする。
10月水穂智彦の歌集『寂光路』が刊行される。
10月積寒法の適用により広野地区の区画整理および暗渠排水工事を行う。
10月 両羽無尽株式会社を改め、山形相互銀行酒田支店とする。
10月小松清治の写真がフランス・パリ国際写真サロンに入選。フランスフォートシネ誌10月号に掲載される。28年にはフランス・ボルドー国際写真サロン等に入選する。
11月6日北千日堂前にあった本間診療所(現本間病院)の療養者たちのうち大滝安吉等により「療養ニュース」が発刊され、27年1月には『太陽』と改題され、現代詩を中心とした文学活動を行う。
11月岩本桂仙の歌集『雷魚』が刊行される。
11月本間順治が論文「日本古刀史」により文学博士となる。刀剣の研究で博士となったのは初めてである。号を薫山といい、特に古刀に詳しい。
12月本楯保育園が開園する。
12月赤川廃川地に四ヵ年計画で干拓事業を始める。
市衛生課で市立小中高生徒の寄生虫予防のため、この年から毎年一斉検便を行う。
農民運動の指導者、小島小一郎の宅地内(浜田)に、同氏の顕功碑がたてられ、除幕式に浅沼稲次郎ら社会党幹部が多数出席する。
光ケ丘の陸上競技場のスタンド等を整備する。(酒田市議会史年表)
この年一中・二中・三中が戦後、初めて東京方面へ修学旅行を実施する。