昭和28年(1953)

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昭和28年19532月1日夜、上内町で13棟を焼く火事が発生する。(酒田市制50年)火事
2月20日史跡一里塚と本間家本邸附長屋門1棟が県指定文化財となる。(酒田市議会史年表)
3月新堀地区の区画整理と耕地交換分合が完了する。
3月西荒瀬村宮海地区の畑地灌漑工事を始める。
4月中平田中学校と北平田中学校が統合し、組合立の平田中学校となる。
4月1日酒田公共職業補導所を閉鎖し、酒田工芸指導所に独立する。
4月市役所で市金庫制度を実施する。荘内銀行酒田支店から2名が市に派出されて業務に当たった。
4月亀ヶ崎保育園が開園する。
4月上中町に酒田証券株式会社がつくられる。
4月竹藪土地区画整理がはじめられ、北部松林とともに新住宅街となる。
5月 市制施行二十周年記念式典が行われる。記念として『酒田のあゆみ』を刊行。
5月清宮殿下(昭和天皇の第五皇女)が西浜砂防林と本楯の城輪柵跡を御視察になる。
5月 浄徳幼稚園が発足する。(酒田市制50年)
6月8日~9日梅雨前線が停滞して酒田飽海地方では100ミリを超す降雨となり田植を終了したばかりの水田446haが冠水する。水害
6月21日素人画家の団体である酒田チャーチル会が発会する(会員13名)。(本間美術館の37年)
7月1日庄内販連が庄内購連を吸収し山形県庄内経済農業協同組合連合会を設立する。(庄内経済連25年のあゆみ)
7月7日山居町一番地に国立市営の社会保険病院が設立される。院長岸田隆。
7月26日高松宮殿下が来館する。(本間美術館の37年)
7月山形県港湾協会が設立される。
8月1日本町三丁目に山形県労働金庫酒田支店が設置される。
8月5日実業家荒木誠一が没する。53歳。下内匠町で金物商を営む。市会議員を2期つとめる。酒田商工会議所会頭、戦時中酒田に山形造船(株)を設立するのに尽力。戦後は卜一屋を復活して庄内で初めての近代的食品スーパーを開いた。妙法寺に葬られる。
8月14日作家大佛次郎が来館する。(本間美術館の37年)
8月14日飛島中学校が豪雨により土砂くずれの災害を受ける。(酒田市議会史年表)水害
8月東北北海道産業工芸振興展を琢成小学校でひらく。
8月青年学級振興法により各地区と中央公民館に青年学級が開設される。
夏、世界救世教の本部講師堀内照子が来酒し、今町酒田ホテルで布教する。37年米屋町亀楽の隣に酒田布教所が設けられる。
9月1日町村合併促進法公布。(酒田市議会史年表)
9月11日郷土史家白崎良弥が没する。78歳。惣吉、良之助。鶴岡五日町風間富右衛門の次男として生まれ、のちに酒田白崎五右衛門(良弥・一随)の養子となる。池田賚について漢学を修める。華道・茶道・和歌・漢詩をよくし、書画・骨董に詳しく、郷土史に明るかった。昭和3年より光丘文庫長をつとめた。町会・市会議員を歴任する。著書『延喜式内出羽国飽海郡小物忌神社考』『酒田港誌』等。晩年は本間美術館につとめる。安祥寺に葬られる。
9月23日日系アメリカ人7名によるハワイ観光団が来酒する。
9月26日上中町の呉服店、小袖屋が酒田で初めて4階建の店舗(川喜田煉七郎設計)に改築してオープンする。
10月1日前月9日から電電公社の千代田丸が敷設した海底ケーブルにより飛島と初めて有線電話が開通する。
10月9日文芸春秋第一回講演会を琢成小学校で開催。講師は丹羽文雄・亀井勝一郎・今日出海・吉田健一。
10月荒沢ダム建設のため朝日村荒沢部落から28戸が黒森・飯森山に入植する。
10月日本詩吟酒田支部が結成される。支部長田林岳嶺。
11月7日酒田・吹浦電信電話共用回線が開通する。(遊佐町史年表)
11月教育者山田与太郎が長年社会事業に尽した功により藍綬褒章をうける。
11月酒田専門店会がつくられる。
11月北千日堂前字松境に酒田電話中継所が設置される。
12月13日小原流国風会庄内支部が発会する。
12月酒田サービス店会がつくられる。
12月小袖屋社長鈴木栄太郎が第十代商工会議所会頭になる。
12月酒田市工場誘致条例が公布され、工場誘致委員会が発足する。
12月全国組織の短歌雑誌「黄鶏」が発刊される。編集者、斎藤勇。
京田川の改修工事を始める。
酒田大山線の大川橋が永久橋として竣工する。
農耕地の実態調査が行われる。(酒田市議会史年表)
全国高等学校陸上競技対校選手権大会の円盤投げで酒商の高坂俊雄が優勝する。(酒商八十年史)
海底電信が飛島と古湊との間に開通する。(飛島誌)
定期船「飛島丸」が酒田市に移管する。(上に同じ)
高砂の佐々木富治・中町五十嵐富治(富士屋)等が創価学会に入信し、折伏を始める。