昭和31年(1956)

年号選択
 
元号年月日事項文キーワード
昭和31年19561月南遊佐の曙橋が竣工する。
3月酒田市管内14地区農業委員会を統合して、酒田市農業委員会をつくる。
3月光ケ丘の松林内に酒田市営球技場(北)が竣工する。(現光ヶ丘庭球場、当初は庭球と排球を兼用)。
4月酒田市の水道事業が地方公営企業法の適用をうける。
4月1日県立酒田青鳥寮が県立酒田青鳥学園と改称する。
4月 県立本楯高等学校を県立酒田北高等学校と改名する。(酒田市制50年)
4月 中央公民館(旧本間家本邸)を仮教室に中央青年学級農業科を開講する。
4月 中村一族で構成する五店会が雑誌「てぶくろ」を発刊する。編集者、佐藤十弥。
4月酒田市でバキューム車を備え付け、公営で糞尿汲取をおこない、衛生都市として面目を一新する。
5月12日午後11時13分、浜田小学校教員組合事務局から出火し、翌日午後1時30分に鎮火。同小学校の講堂、体育館、便所を残し、校舎4棟(26教室、給食室、宿直室、工作室、裁縫室)が焼失する。
5月14日飛島小学校を中学校に併設竣工する。
6月1日酒田市が地方財政再建特別措置法の適用を受ける。(酒田市議会史年表)
6月成田晴夫の詩集「東京抄」が刊行される。
7月5日第五回全国美術館会議を商工会議所で当番館、本間美術館が開く。25館が参加。(本間美術館の37年)
7月北千日堂前字松境に松陵保育園ができる。
7月高校予備校として寺町大信寺前ヘアテネ学院がつくられる。院長、本間祐介。
8月1日「サンデー庄内」が発刊される。編集者、佐藤三郎。
8月3日酒田で初めての自動交通信号機が市役所前十字路に総工費75万円で設置される。
8月後藤鉄太郎が第八代市議会議長になる。
8月消防都市等級審査の結果、酒田市が五級都市になる。(1級から8級まで)
8月新堀簡易水道が竣工する。(酒田市水道50年の歩み)
9月25日『覚醒を促し健康への道しるべ』上下巻発刊される。著者池田貞三。
9月第10回全国鉄陸上競技大会が市営光ケ丘陸上競技場で開催される。
10月1日教育委員が公選制から任命制となる。(酒田市議会史年表)
10月1日光ヶ丘郵便局が業務を開始する。
10月南遊佐の昭和橋が竣工する。
11月11日妙智会山形教会が住吉町にできる。教会長鈴木光吉。
11月18日農事功労者富樫雄太が没する。72歳。西荒瀬村の農家に生まれ、はじめ宗教家賀川豊彦の門に入る。後年水稲の品種改良を行い、優良品種「泉岳」を創った。大正11年に日本農民組合鳥海支部を結成する。
11月上野、秋田間を結ぶ急行「羽黒」が新たに運行する。
11月24日飛島サンゴ類群棲地が県の天然記念物に指定され、中に山大教授阿部襄が発見したムツサンゴも含まれている。ほかに広野新田のカブトエビの分布北限地も指定される。
12月中平田地区の簡易水道工事が竣工する。
12月末の人口97,094人(男46,750人・女50,344人)世帯数18,415。
飛島で市の助成を得てアワビ稚貝放流事業を開始する。簡易水道が出来る。旅館4軒となる。(飛島誌)
南遊佐公民館が新築落成する。