昭和32年(1957)

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昭和32年19571月浜田小学校が火災後再建される。
1月28日佐藤義竜が若浜町に日蓮宗妙留山孝祥寺をたてる。
2月酒田港が木材輸入港に指定される。
2月10日元市議会議長相馬治太郎が没する。70歳。明治20年2月3日生まれ、早大卒。貸席相馬屋主人。町会議員・市会議員をつとめる。
3月市民劇場発足。第一回記念公演「機械の中の青春」を4月6日琢成小学校講堂で催す。
4月広野中学校と袖浦中学校が統合して第四中学校が設立される。初代校長佐藤勇。
4月酒田家政高等学校(前天真学園高等学校)が浜田に第2校舎を整備する。
4月1日公立酒田病院行定期無料バスが運行する。(酒田市議会史年表)
4月1日「酒田日日新聞」が発刊される。発行人、五十嵐義夫。
4月15日出力2キロワットの電気事業が魚協自営で開始され、飛島に初めて電灯がともる。旅館6軒となる。(飛島誌)
4月15日中町の中和会が上中町に新たに500万円の予算で大小ネオンアーチ2基を設置する。
4月酒田川柳会の同人句集『川柳』第一号が刊行される。
4月おばこ丸にかわって飛島丸が就航する。おばこ丸は女性名だったので、長続きしなかったと一部でいわれる。船神は女性なので女名を嫌うという。
4月亀ヶ崎地区に中央公民館亀ヶ崎分館を置く。
5月18日土門拳が来遊する。みちのくの港町-酒田風物誌(山王祭)-が(「婦人画報」8月号)に発表される。(酒田市制50年)
5月山居賃貸倉庫を庄内倉庫株式会社と改める。
6月2日教育者荻原重逸が没する。79歳。鶴岡家中新町に生まれ、一高中退、小学校教員となり、校長となる。哲学者の風貌を持ち、独得の教育理論を実践した。南溟と号し書をよくした。市史編さん委員、選挙管理委員長。遺著『王折草』『はすの華』他。
6月26日アメリカ海軍通信隊分遣隊約60名が高砂に駐屯を開始する。
6月ボーカルスタジオが港座でオペラ「ミカド」を上演する。指導者、加藤千恵。
7月7日~8日豪雨のため庄内の各河川が氾濫する。水害
7月10日前年11月に着工した酒田警察署が光ヶ丘に新築移転し、竣工式を行う。
7月27日警察署の新築移転に伴い、昭和8年から今町交差点に立地していた交番が撤去される。
7月酒田公共職業安定所が光ヶ丘に新築移転する。
7月仙台入国管理事務所酒田港出張所が設置される。
7月酒田市教育研究所が設置される。
7月教育者渋谷豊四の歌集『おたまじゃくし』が発刊される。
8月第26回全国高校卓球選手権大会が琢成小学校体育館で開かれる。
8月全日本学生軟式庭球選手権大会が開かれる。
8月16日本楯の新田目城跡が県から史跡に指定される。
8月みちのく豆本』が発刊される。(季刊)第一期『河村瑞賢考』池田順太、『零才の笑顔』荒木星、『かられらる物語』(再版)佐藤十弥、『酒田膝栗毛』藤井康夫、発行者佐藤公太郎。その後発刊が続けられ、昭和62年8月109号『無為庵覚書』を発行する。
9月「荘内評論」が発刊される。
9月大内一晃の句集『ぱすは』が刊行される。
9月5日日新電化労組が無期限ストに突入する。
10月井上靖が『氷壁』を発表する。山岳登山小説で、酒田出身の若者が主人公となっている。これはのちに映画化された。日和山公園入口に文学碑がある。
10月高橋剛の作品が日展の彫刻部門で特選となる(南遊佐に生まれる)。
10月この年より56年10月まで毎年3日間安田理深を迎え真宗寺院を会場に真宗学講座が開かれる。安田は真宗教学及び唯識の権威である。
秋になると最上川河口を上る鮭は、両羽橋附近から獲れるのが最もおいしかった。新米に「はららご」をかけて食べるのは秋の味覚の最高といえよう。この頃から最上川ではとれなくなる。
11月27日原水禁酒田地区協議会が発足する。
11月山形県で酒田港内4万坪の敷地に火力発電所の誘致運動を始める。
11月新生活運動の一環として公民館結婚式を実施する。
11月第一回市民芸術祭が23日庄内経済連ホールで市教育委員会主催で開催(音楽・演劇・文芸)される。
12月5日農事功労者斎藤政雄が没する。47歳。西平田村大宮に生まれる。水稲新品種を育成し「大宮錦」と名付けられる。天正寺に葬られる。
12月13日昼過ぎ、低気圧の通過に伴い、最大瞬間風速42.9メートルを観測、酒田測候所開所以来第1位の記録となる。
12月24日国家主義的思想家、大川周明が没する。72歳。法博、東大インド哲学科卒、老荘会・猶存会・行地社などを経て、昭和7年神武会をおこし会長となり、国家主義運動の理論的指導者として活躍する。戦後、戦争犯罪人として極東国際軍事裁判で裁かれ、その後、回教の研究に没頭する。著書に『特許植民会社制度研究』『近世欧羅巴植民史』『安楽の門』『古蘭』などがある。下日枝神社の随身門前に碑がある。
12月ボーカルスタジオの加藤千恵が第一回山新三P賞の平和賞をうける。
12月岸田隆の歌集『温床』が刊行される。
12月斎藤信治が哲学の研究により文学博士となる。
この年の荷役量44万トン、開港以来最高。
酒田市教育相談室を開設する。
光ケ丘小学校に精薄特殊学級を開設する。
この年作家吉田健一が来酒する。(文芸春秋12月号“舌鼓ところどころ”に、山海の味、酒田)を発表する。(酒田市制50年)
酒田演劇研究会等が加盟して演劇サークル協議会がつくられ、市民芸術祭に参加、公演する。酒田演劇研究会は今にいたるまで演劇の灯をともしつづけている。