昭和33年(1958)

年号選択
 
元号年月日事項文キーワード
昭和33年19581月ソ連船が木材を積んで酒田港に入港する。
2月9日井上靖原作『氷壁』の映画ロケで大映のスター(菅原謙二・野添ひとみ)たちが来酒し、約1万人の見物人が見守るなか、日和山公園で撮影を行う。
2月11日夜7時ごろから同8時40分ごろまで、北々西から北東の方向にオーロラを観測。明るさは銀河の明るさの1~2倍、高度は1~20度、色は赤黒い不気味な色で、大火と間違う騒ぎもあった。
2月私立酒田家政高等学校を酒田女子高等学校と改称する。(酒田市制50年)
3月庄内経済連で北斗会所有の土地と山居倉庫を買収する。
3月光ケ丘の松林内に酒田市営球技場(南)が竣工する。
3月太田清蔵の詩集『痩軀の歌』が刊行される。
3月浜町のネオンアーチが竣工する。。
3月25日財団法人光丘文庫(文庫長本間祐介)が解散し、建物と蔵書6万冊その他を市に寄付し、市立光丘図書館が設置される。
4月1日国民健康保険が現物給付となる。(酒田市議会史年表)
4月1日売春防止法の施行により新町の遊廊が廃業し、赤線の灯が消える。
4月7日市民オーケストラが結成される。指揮者、松本六郎(元海軍軍楽隊員)。35年に解散。
4月酒田市農業委員会事務局が設置される。(酒田市議会史年表)
4月20日湯野浜の合併問題について住民投票が行われ、現状維持(湯野浜地区の鶴岡市残留)と決まる。問題発生から約3年間、酒田と鶴岡が宣伝戦等で激烈に争う。
4月陸羽西線の全旅客列車が気動車化される。
4月酒田地区鉱工業地帯整備促進協議会が発足する。
5月10日琢成小学校講堂において文芸春秋講演会が開かれ石川達三・奥野信太郎・菊村到・塩田英二郎が来酒する。
5月酒田灯台が高砂に完成点灯する。旧灯台を観光及び保存のため日和山公園に移設する。
5月浜田に市営武道場が竣工する。当初は柔・剣の二道場として発足し、38年6月完成の弓道場をあわせて三道館となる。(酒田市議会史年表)
6月2日市営共同墓地の基礎調査に入る。(上に同じ)
6月18日鹿児島寿蔵が古典雛調査のため本間美術館に来館する。(本間美術館の37年)
6月鳥海上水道が竣工する。計画給水人口1万4,600人、総工費1億2,600万円。
7月15日地方自治功労者青塚恒治が没する。72歳。胡沙。本町の地主青塚岩治の次男。代々金物屋を営む。一高に学ぶ。酒田町助役、町会議員をつとめ、昭和6年より県会議員・市会議員・市会議長、同20年10月酒田市長に選ばれたが連合軍の追放令で辞任する。ライオン市長とか庄内の虎とよばれた。土屋竹雨から漢詩は当代酒田一と賞される。上水道工事を提案実施する。安祥寺の脇寺雲照寺に葬られる。
7月20日~29日長雨となる。合計総雨量酒田で305ミリを観測。酒田・飽海・東田川に被害多く、遊佐町に災害救助法が発動される。赤川新川の新川橋等流失する。水害
7月31日~8月3日全日本高校女子バレーボール選手権大会が市営光ケ丘北コートで開催される。(酒田市制50年)
7月広野地区簡易水道が竣工する。
7月勤務評定反対斗争激化。(9月15日正午で授業打切り斗争。各校長県教組脱退)
8月酒田市青少年問題協議会がつくられる。
8月本町に水銀灯がつけられる。
9月社会保険酒田病院では最新鋭のX線断層写真撮影装置を購入、診療を始める。
9月一万トン岩壁の起工式を行う。
9月上水道の高速波沈澱装置並びに急速濾過装置が竣工する。
10月飛島簡易水道布設工事を始める。計画給水人口1750人。
10月酒田海洋少年団にブラスバンドが創設される。指揮者松本六郎。
11月西荒瀬地区簡易水道が竣工する。
11月山木武夫が長年農村振興に尽した功により藍綬褒章をうける。
12月酒田市史編纂委員会が『酒田市史下巻』を出版する。
12月東北海運局酒田支局が船場町に新築移転する。
12月南遊佐地区の簡易水道が竣工する。
12月酒田観光協会が酒田観光学院を開設する。
中町商店街で月1回一斉定休日制(15日)を実施する。