元号年 | 年 | 月日 | 事項文 | キーワード |
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昭和39年 | 1964 | 1月13日 | 電報電話局の新局舎が完成し、営業を開始する。庁舎屋上にパラボナ・アンテナをたてる。(酒田市議会史年表) | |
3月 | 西荒瀬・中平田簡易水道が廃止され、酒田市上水道に統合する。(酒田市水道50年の歩み) | |||
3月 | 住吉町地区、大道添土地区画整理事業が完了する。 | |||
3月 | 城輪柵遺跡の戦後初めての公的調査(予備調査)を行う。 | |||
4月1日 | 西荒瀬公民館が竣工開館する(工費522万円、455㎡)(酒田市議会史年表) | |||
4月1日 | 飛島灯台が無人灯台に変る。 | |||
4月11日 | 古典人形特別鑑賞会。画家・人形研究家西沢笛畝が来館する。(本間美術館の37年) | |||
4月 | 青年センターでは青年教室の開設に伴い、施設名称を青少年研修センターと改める。 | |||
4月 | 酒田市スポーツ振興審議会を設置する。 | |||
5月1日 | 新市地域の支所を出張所と名称を変える。 | |||
5月2日 | 広野の亀井橋架け替え工事が完成する。 | |||
5月15日 | 両羽町地域に木工団地が完成し、エコー家具・斎藤農機等が操業する。 | |||
5月 | 中央公民館設立15周年記念の文芸春秋講演会が市民会館で開催され、小林秀雄・今日出海・円地文子・伊藤整が来酒する。 | |||
6月1日 | 本楯の杉山良太が稲作と植林の功で黄綬褒章をうける。(酒田市議会史年表) | |||
6月16日 | 午後1時1分55秒。M7.7、震度5の新潟地震がおきる。死者1名(第三中学校女生徒)。重傷5名、軽傷9名、倒壊家屋125戸、被害総額9億9,778万9千円。(上に同じ) | 地震 | ||
6月 | 新潟地震発生により、上水道施設は多大の被害をうけ、17日~19日、全市完全断水。20日より時間給水、28日より計画給水量の64%を配水、7月31日より仮送水管完成で2万2300立方メートルの給水が可能となった。この間、自衛隊の救援で給水作業を行う。 | |||
6月 | 住居表示委員会が発足し、3ヵ年計画で町名変更を行う予定をたてる。 | |||
6月 | 岸田隆の歌集『河口の胡桃』が発刊される。 | |||
7月1日 | ~7日画家中川一政が来館する。(本間美術館の37年) | |||
7月2日 | 2日の豪雨は鳥海山系で300ミリ前後に達し、水田の冠水が多い。(酒田市制50年) | 水害 | ||
7月7日 | 尺八伴奏者輪島如水が没する。70歳。完治・善助。日吉町に生まれ、民謡の尺八にすぐれた才能を発揮して、著名となる。 | |||
7月13日 | 鳥海中学校のプールが完成する。(酒田市議会史年表) | |||
8月31日 | ただ一つの無灯部落七窪に点灯される。 | |||
8月 | 清掃事業所が広野へ移転する。(酒田市議会史年表) | |||
8月 | 東栄町地区、浜田土地区画整理事業が完了する。 | |||
9月12日 | 新市庁舎完成に伴い修祓式を行う。鉄筋コンクリート5階建(総工費3億4700万円、総面積2万㎡)21日より事務が開始される。 | |||
9月24日 | 歌人で万葉学者の土屋文明が来酒し、歌人で医師の岸田隆を訪ねる。。 欅の下棟並べたる大倉庫幾十万人食ふにかあらん 永代蔵にのりたりといふ古き家下宿屋となり残るも見たり | |||
9月29日 | 酒田日中友好の会が発足する。 | |||
9月 | 酒田古文書同好会が発足する。古文書解読と広く郷土史を学ぶ会。講師甲崎環他、市史編さん室で運営に当る。機関誌として『方寸』を八巻まで発刊する。 | |||
10月14日 | 獅子文六・小林秀雄が来館する。(本間美術館の37年) | |||
10月25日 | 新市庁舎竣工と近村合併10周年の記念式を市民会館で開く。席上、本間重三・加藤千恵が市政功労者として表彰される。(酒田市議会史年表) | |||
10月31日 | 酒田駅五十周年を祝う。(上に同じ) | |||
10月 | 全電通酒田分会では改式に備えて職場闘争を展開する。 | |||
11月2日 | 農学博士星野勇三が没する。89歳。田川郡手向の宮本坊に生まれる。札幌農学校教授、東北帝国大学農科大学教授・北大教授。園芸学を専攻。メンデルの法則を初めて紹介。園芸育種学の権威。酒田日和山公園の設計のほか、札幌大通り公園の花壇を創設した。著書『果樹栽培講議』『蔬菜花卉果樹栽培要覧』。 | |||
11月3日 | 亀ヶ崎小学校の全校舎改築が完成する。 | |||
11月4日 | 元市長本間重三が没する。55才。富豪本間家の一族、味噌屋本間鐐吉の次男として生まれ、兄鉄之助の跡を継ぐ。東京商科大学卒。市役所に奉職。昭和22年4月初めての首長公選に立候補して市長となる。3期12年つとめて退職する。戦後の復興に努力した。浄福寺に葬られる。 | |||
11月17日 | 酒田青少年補導センターが発足する。(酒田市議会史年表) | |||
11月20日 | 大型船サンタマリア号が入港する。 | 港 | ||
11月29日 | 電報電話局で電話交換手が手動でつなぐ共電式から自動交換方式に変更し、電話番号に初めて一桁の局番がつけられたほか、それまで市外通話取扱の西荒瀬・北平田及び新堀の一部が市内扱いとなる。 | |||
11月 | 本間農場を閉鎖する。(市史史料篇五) | |||
12月 | 広野へ酒田・遊佐・平田・八幡合同のし尿処理場が竣工(1億3千万円)する。(酒田市議会史年表) | |||
12月 | 南防波堤に赤灯台が新設完成する。光量、65カンデラ~340カンデラ(工費312万円) | |||
12月 | 伊藤酉水子の句集『虎落笛』が発刊される。 | |||
地震被害者に対し39年度分市税の減免徴収猶予を行う。災害救助法の適用。税の減免、復興融資額の拡大を行う。(酒田市議会史年表) | ||||
飛島の「テキ穴」で、古い人骨発見、その後の調査で奈良、平安時代のものと推定される。須恵器・土師器等も発見される。 | ||||
中央公民館で家庭教育学級が初めて開設される。 | ||||
この年白巽文庫、斎藤昌二の遺族より古典人形67組二百点余が寄贈され、図録を出版する。(本間美術館の37年) | ||||
「婦人庄内」が発行される。発行者、佐野裕徳。(酒田市制50年) | ||||
この年の稲作、史上最高の豊作となる。 |