昭和40年(1965)

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昭和40年19652月17日元市長斉藤巳之吉が没する。83歳。大町村斉藤茂助の家に生まれる。酒田の社会事業家斉藤千里の婿養子となる。カトリック教徒。太田政弘の知遇を得て官界に入り、台湾、朝鮮で活躍。昭和8年酒田市助役、12年から20年まで市長となる。海晏寺に葬られる。
2月市営住宅が旭新町に竣工(24戸、簡易耐火ブロック4戸建4棟)する。(酒田市議会史年表)
3月3日最上川が一級河川に指定される。
3月5日ライシャワー駐日アメリカ大使夫妻が来酒し、本間美術館や海向寺を見学する。
3月15日詩人大滝安吉が没する。39歳。「谺」同人として活躍する。友人の吉野弘の手によって59年に遺稿詩集『純白の意志』が出版される。
3月28日船場町の酒田製氷の三棟を焼失する。火事
3月『酒田の電報と電話』が発刊される。編集、酒田電報電話局。
3月光ケ丘五丁目地区、光ケ丘土地区画整理事業を完了する。
4月1日本市初の住居表示を市内北西部を対象に実施する。
4月5日全国コンクールで“広報さかた”が特賞に選ばれる。
4月天正寺町通りの拡張工事が竣工する。(酒田市議会史年表)
4月アテネ幼稚園が発足する。(酒田市制50年)
4月両羽銀行を山形銀行と改称する。(荘内銀行百年史)
4月高砂地区に中央公民館松陵分館を置く。
4月新潟地震で倒壊した西平田分館を新築する。
4月酒田民謡愛好会が発足する。それ以前酒田には庄内民謡研究会、代表長谷部馨があり、戦後まもなく、のど自慢全国大会で黒石ヨシエが第2位に輝いた。
5月26日本間美術館が財団法人となり、本間家当主本間真子から庭園内の敷地1,200㎡・美術品154点・現金500万円を寄附された。理事長に本間順治・館長に本間祐介がなる。
5月袖浦埠頭(5千トン岸壁)を起工する。(酒田市議会史年表)
5月広野地区(木工団地西側)に準工業団地として両羽工業団地の造成を開始する。40年度より42年度まで3ヵ年計画(上に同じ)
5月浜田二丁目地区、北水出土地区画整理事業を完了する。
6月1日図書館報「光丘」を創刊する。2月・6月・12月の年3回発行。
7月4日砂防功労者富樫兼治郎が没する。69歳。鶴岡宝町に生まれる。昭和25年8月酒田営林署長となる。海岸砂防について研究する。浜中に同41年に部落有志らによって建てられた功績碑がある。鶴岡大昌寺に葬られる。著書『日本海北部沿岸地方における砂防造林』。
7月15日母子寮が竣工する。
7月15日浜田小学校と第三中学校のプールが完成する。(酒田市議会史年表)
8月13日日本画家佐藤竜巳が没する。64歳。晃蓬。横山善治の五男として中平田村勝保関に生まれる。武者絵・美人圓・花鳥を得意とした。鶴岡禅竜寺に葬られる。
9月28日~10月3日、本間焼、百碗展を日本橋三越本店で開く。(本間美術館の37年)
9月西平田小学校(現第三中学校の位置)の新校舎が完成する。工費6140万円。(酒田市議会史年表)
9月『十里塚村史』が発刊される。著者、長井政太郎。
10月1日酒田西高等学校の校舎、鉄筋コンクリート造3階建、延282.75坪が完成する。
11月3日池田藤弥と社会福祉法人酒田報恩会が酒田市表彰条例による表彰を受ける。(酒田市議会史年表)
11月14日招魂社境内に市が酒田市遺族会の協力により「やすらぎの塔」を完成。塔の下に「戦火の中に散った霊に捧げる」の碑文がある。工費400万円。高橋剛の設計及び制作。(上に同じ)
11月音楽家加藤千恵が茂吉文化賞をうける。
12月新潟地震による水道復旧工事が完了する。復旧費8,263万9千円。(酒田市水道50年の歩み)
1級国道7号線、酒田・吹浦間バイパスが開通する。同時に、吹浦・藤崎・酒田間の国道が県道となる。(遊佐町史年表)
新堀公民館が新築落成する。
新潟地震災害復旧事業として黒森公民館・宮野浦分館・飯森山分館が新築落成する。
今井安太郎が没する。80歳。早稲田大学卒。米沢工業学校の英語教諭となって永年在職。終戦後山形大学の講師をつとめた。「蛙」に関する収集家として知られる。会津八一と親交があった。晩年竜厳寺に茶室をたてて日本古典の研究をする。持地院に葬られる。