昭和41年(1966)

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昭和41年19661月29日森嘉兵衛(岩手大教授)が平泉と酒田三十六人衆との調査に来酒し、本間美術館で座談会が行われる。(本間美術館の37年)
1月東北短期大学が余目町(現庄内町)に設立され、42年4月豊里の公立酒田病院の場所に移転する。43年12月酒田経済短期大学と改称する。(酒田市制50年)
3月1日『新潟地震酒田市災害記録』が発刊される。発刊者、酒田市。
3月7日北平田舟止橋が完成する。(酒田市議会史年表)
3月8日報恩会保育所が完成する。
3月鉄興社労組は賃上げと解雇撤回を要求して93日間にわたる争議を行う。
3月緑町地区、中堰土地区画整理事業が完了する。
3月若浜町地区、四之堰土地区画整理事業が完了する。
3月末広町地区、大町土地区画整理事業が完了する。
3月旭新町地区、夜揚下土地区画整理事業が完了する。
3月酒田市議会において産業安全都市を宣言する。(酒田市議会史年表)
港湾審議会で酒田港拡張計画(北港計画)を決定する。
4月1日酒田市立高等学校を中央高等学校と改称し、寺町より松境に新築移転する。(酒田市議会史年表)
4月15日市役所前広場の一角に「酒田三十六人衆ゆかりの地」の碑がたてられる。(上に同じ)
4月天真幼稚園が発足する。(酒田市制50年)
5月8日光ケ丘陸上競技場の改装整備が完成する。(酒田市議会史年表)
5月27日新町に酒田船員保険寮が完成する。(上に同じ)
5月光ケ丘に市営相撲場か完成する。(酒田市制50年)
6月『市長ノート』が発刊される。著者、小山孫次郎。
6月『方寸』第1号(続刊)が発刊される。発行者、酒田古文書同好会。
7月15日~18日にかけて庄内地方に大雨が降り、がけ崩れで住宅7棟が全壊する。鳥海山で723ミリの降水量を記録。農林関係全体の被害は10億円に達する。水害
7月南遊佐・北平田小学校のプールが完成する。(酒田市議会史年表)
8月23日1万トン岸壁2バース大浜埠頭が完成する。総工費7億2,100万円。(上に同じ)
8月新堀農協が完成し、2階へ図書室(山木武夫文庫)を設ける。(上に同じ)
9月西川原北児童遊園地が完成する。
9月サクランボを「県の木」に制定する。
10月1日山形放送がカラー放送を開始する。
10月26日国後沖付近でイカ釣りをしていた飛島の漁船「第五いち丸」と「白雲丸」の2隻が、ソ連船に拿捕され、合計29人が連行される。船長は領海侵犯で禁固2年、他は全員12月1日釈放される。
11月1日浜町商店街アーケードが竣工する。
11月1日豊里分院が廃止され、市立酒田病院を山居町に一本化する。(酒田市議会史年表)
11月3日石井製作所社長で盲目でありながら有名な神社・仏閣等の模型を多く作った石井梅蔵が酒田市表彰条例による表彰を受ける。(上に同じ)
11月14日化学消防車を消防署に配置する。
11月県営庄内ガスが供給を開始する。(酒田市議会史年表)
11月「南遊佐区書整理記念碑」が宮内道路脇にたてられる。小山孫次郎撰・安孫子藤吉書。
12月2日12月としては29年ぶりの大雪となる。積雪量44センチメートル。
12月浜中公民館が完成する。402㎡、工費863万円。(酒田市議会史年表)
12月前田巌が12代商工会議所会頭となる。(上に同じ)
12月酒田郵便局では磁石式交換機を設置、加入者172名、交換業務を開始する。
酒田市理科教育センターが設置される。