昭和43年(1968)

年号選択
 
元号年月日事項文キーワード
昭和43年19681月17日出羽大橋の起工式を行う(47年度完工予定、817メートル、約10億円)。(酒田市議会史年表)
1月31日~2月3日地吹雪のため国道7号線が寸断され、不通個所が発生する。
1月佐藤久吉が第13代商工会議所会頭となる。(酒田市議会史年表)
1月『若い人』(季刊)が発刊される。編集者、若い人グループ(6号まで)。
1月ゴミ集めの袋詰ステーション方式を4,500世帯に拡大する。(酒田市議会史年表)
2月23日ドカ雪で交通途絶。最大瞬間風速28.4メートルを記録する。
2月斎藤邦明の歌集『海原』が発刊される。
3月15日文人米村久之助が没する。59歳。久生、酒田に生まれる。司法書士となり、かたわら竹内唯一郎・遠田一路風・伊藤酉水子らとともに「海紅」派の俳句をつくり、のちには村田敏雄らと若山牧水の「創作」に参加し歌人として知られた。持地院に葬られる。
3月浜田に酒田市青年センターが新築される。(工費2千万円、軽量鉄骨2階建、660㎡)。(酒田市議会史年表)
4月12日荘内銀行が県内各地区交通安全協会へ横断旗8千本、旗入筒300を贈呈する。(荘内銀行百年史)
5月2日歌手岸洋子後援会が発足する。
5月2日相場師阿部久作が没する。82歳。代々回船問屋を営み船場町に住む。長年、相場師として活躍、「阿部久」の名を全国にとどろかせる。海晏寺に葬られる。
5月4日最上川下流右岸の水利工事が完成する。(酒田市議会史年表)
5月『飛島の釣』が発刊される。著者、近江町小倉慶二。
6月県立酒田ろう学校が宮海に新築移転する。(酒田市制50年)
8月1日市役所で機構改革が行われ、大課制度をとる。(酒田市議会史年表)
8月20日~21日大雨により酒田で140戸が床下浸水。水害
8月岸田隆の歌集『氷原』が発刊される。
8月末広町地区、札の前土地区画整理事業が完了する。
8月『酒田剣道史』が発刊される。著者、斎藤信治。
9月5日若竹町歩道橋が竣工する。
9月19日昭和23年以来2万人目の外国船員を乗せたギリシヤ貨物船ジョージアス号が入港する。
10月23日中町小袖屋主人、前商工会議所会頭、鈴木栄太郎が没する。64歳。黒森歌舞伎保存会長、自伝『酒田商人のど根性』がある。
10月高砂工場用地の分譲が完了する。(19万㎡・昭和36年度着工)
10月大浜の石油基地に出光興産・共同・三菱・日本石油等大手4社の進出が決まる。(酒田市議会史年表)
10月国民体育大会レスリング競技で、南高校の斎藤真が優勝する。
10月高橋元良の歌集『砂丘林』が発刊される。
11月16日酒田港改定計画(北港)、昭和50年開港目標、工費約138億円につき産業会館において県より説明される。(酒田市議会史年表)
11月市役所で電子計算機を導入し、事務の近代化をはかる。(上に同じ)
11月広野公民館が完成する。(工費1,073万円)
11月袖岡埠頭5千トン、3パースが完成する。(酒田市議会史年表)
11月大多新田に県立農民センターが完成する(工費1,800万円)。
11月酒田港荷扱量、130万トン。
12月5日鹿児島寿蔵が来館する。日和山公園に歌碑がある。 大川の夕凪どきのやすらぎをハンコタンナの其の面に見つ(本間美術館の37年) 福岡市出身の歌人、昭和36年紙塑人形の製作者として人間国宝となる。43年12月、酒田来訪の折、最上川渡船場における作で、鹿児島寿蔵の第十七歌集『アプローチ』所収。ハンコタンナは、この地方の女性が作業時に顔面を覆う黒い布。碑は紙塑人形後継者の長女成恵の筆。
日本海ますはえなわ漁業が許可され、操業開始する。(飛島誌)
この年北平田出身渋谷多喜はメキシコ五輪の全日本代表決定競技会で女子器械体操、総合5位で五輪出場選手に選ばれ参加する。(酒田市制50年)
この年酒田西高の池田明子は広島インターハイで陸上競技200メートル優勝、同年韓国ソウルで開催の日韓高校交歓大会で200メートルに出場する。(酒田市制50年)
酒田農業改良普及所(市役所内にあった)が新橋二丁目1-13の新庁舎に移転する。
この年大豊作。