元号年 | 年 | 月日 | 事項文 | キーワード |
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昭和44年 | 1969 | 1月21日 | 最上川河口に白鳥観測所ができる。(酒田市議会史年表) | |
| | 2月14日 | 相生町商店街のアーケードが完成する。 | |
| | 3月1日 | 酒田駅前商店街のアーケードが完成する。 | |
| | 3月31日 | ~4月2日まで画家小松均が来館する。(本間美術館の37年) | |
| | 3月 | 駅構内を通る公衆地下歩道(300メートル)の新築工事を起工、工費約7千万円で、昭和45年5月12日開通する。(酒田市議会史年表) | |
| | 3月 | 三川町に庄内支庁が完成開庁する。(酒田市議会年表) | |
| | 3月 | 秋田町にあった元飽海地方事務所が壊され、三川町の庄内支庁に移転する。 | |
| | 3月 | みちのく白鳥句会が設立する。「かつらぎ」の阿波野青畝の系統。女流を主とする。代表小野百合子。 | |
| | 4月1日 | 老人家庭奉仕員が新たに配置される。(酒田市議会史年表) | |
| | 4月1日 | 酒田市交通災害共済制度が発足する。(上に同じ) | |
| | 4月1日 | 市内の5つの郵便局名が次のとおり変更となる。北千日堂前郵便局→千日町郵便局、浜町郵便局→相生町郵便局、荒町郵便局→日吉町郵便局、若竹町郵便局→山居町郵便局、横道町郵便局→亀ヶ崎郵便局 | |
| | 4月 | 小牧排水えん堤(150本)が桜の新名所となる。特に港南公園(通称三角公園)がにぎわう。 | |
| | 4月 | 酒田女子高等学校がすべての機能を浜田の新校舎に移転したことに伴い、駅前の校舎を廃止する。 | |
| | 5月15日 | 余語春吉が第12代市議会議長となる。 | |
| | 5月19日 | ~20日降雹のため、浜中・袖浦地区で果樹や野菜畑460haに被害が発生する。 | |
| | 5月 | 山王祭りは神宿の人形飾りが廃されるなど曲がり角にきた。そのため山王祭りをやめ、港祭り一本にしようとの動きが出る。これに反発して青年会議所(理事長佐藤俊二)等が中心となり、下日枝神社斎館で酒田山王展を開くほか、戦後初めての山車「天と地」や本間家の「亀鉾」を練り歩かせ、翌年からは市役所前に「お祭り広場」を設け、亀鉾や山車を飾り、盆栽展や地口あんどん、提灯、ボンボリをつけて賑やかにし、19日夜には前夜祭を開く。20日本祭りの正午からは同広場で「式台の儀」を開催し、市役所ロビーでは「祝山王祭資料展」を開く。のちには献花展も行う。そのため今までの沈滞ムードから上向きの気運にもり上った。 | |
| | 5月25日 | ~26日最大瞬間風速25.7メートルの暴風雨となり、砂丘地の農作物に1億2千万円の被害を与える。 | |
| | 5月 | 遺稿「たま折草」(歌集)が発刊される。著者、荻原重逸。 | |
| | 6月8日 | 第1回市民のつどいが浜田の青年センターで開かれる。 | |
| | 6月9日 | 俳人遠田一路風が没する。75歳。信太郎、秋田町薬局遠田富之助の子。金沢薬学専門学校卒。家業をつぐ。伊藤万寿に俳句を学び、三羽烏と称される。市会議員を一期つとめる。歌舞伎通としても知られる。晩年は遊佐にすむ。大信寺に葬られる。 | |
| | 6月22日 | 中島健蔵(日中文化交流理事長)が来館する。(本間美術館の37年) | |
| | 6月 | 『庄内戊辰秘話』が発刊される。著者、田村寛三・佐藤三郎。 | |
| | 6月 | 清河八郎の奉母紀行『西遊草』が発刊される。編さん者、小山松勝一郎。 | |
| | 6月 | 新橋一・二・三丁目地区、大坪土地区画整理事業が完了する。 | |
| | 6月 | 東大町地区、東大町土地区画整理事業が完了する。 | |
| | 7月10日 | 飽海地区労青年部が結成される。 | |
| | 7月28日 | 国体明徴運動(事実の究明と教訓化、あらゆる暴力否定)の創唱者桑原鶴が本間病院で死去する。66歳。同氏は明治35年郡馬県に生まれ、東大卒後外務省に入る。昭和11年日独防共協定締結に際し、太平洋戦争の必至と必敗を信じて抵抗する。19年には「大東亜戦争指導私論」を作成し、近衛文麿の手に達し、これを読んだ近衛は上聞に達すべきものとしたが果さなかった。終戦により外務省を辞し、国体明徴運動に全力を投球する。35年8月より来酒し、新片町二十の明徴出版社に寄寓する。「記録のもとに我死なん」の言葉の通り、多くの著書と厖大な明徴小論を残す。氏は上半身を裸で過し、よく上日枝神社拝殿で執筆していた。桑原の教えを受けた平田亨・加藤茂蔵らがその精神を引き継ぎ、学習会を続ける。 | |
| | 7月 | 琢成・新堀小学校のプールが完了する。 | |
| | 7月 | 両羽町地区、広野第二土地区画整理事業が完了する。 | |
| | 8月7日 | ~8日豪雨により最上川堤防欠壊のおそれを生じ、附近の住民71世帯、223人が亀ケ崎小学校に避難する。(酒田市議会史年表) | 水害 |
| | 9月10日 | 千石町に新酒田病院が完成し、診療を開始する。鉄筋コンクリート6階建、工費7億7,130万円。ペッド数400。院長鎌田為夫。52年6月から東北大の桑島治三郎が院長となり、医療スタッフが東北大医学部中心となる。(それ以前は日本医科大系)(上に同じ) | |
| | 9月14日 | 酒田港石油基地のさん橋が竣工する。 | 港 |
| | 9月 | 来年度から十ヵ年計画による下水道事業を決定する。(酒田市議会史年表) | |
| | 10月8日 | 石油基地が操業開始し、この日初めて石油タンカーが入港する。 | 港 |
| | 11月18日 | 7時8分ごろ、市内に龍巻が発生し、市街地を西から東に通り抜け、住家9棟に被害をもたらす。 | |
| | 11月19日 | マーク・ゲイン夫妻が来酒する。(松山町史年表) | |
| | 11月24日 | 中町二丁目に小袖屋デパートが開店する。 | |
| | 11月 | 佐藤久吉が体育振興功労により藍綬褒章をうける。 | |
| | 12月1日 | 酒田市に騒音規制法が適用される。(酒田市議会史年表) | |
| | 12月19日 | 是谷菊治が第13代市議会議長となる。(上に同じ) | |
| | 12月 | 幸町二丁目地区、幸町土地区画整理事業が完了する。 | |
| | 12月 | 『虚中庵饒舌』(随筆集)が発刊される。著者、骨董商小田嘉久吉。 | |
| | | 飛島の法木・勝浦間の県道が開通する。(酒田市制50年) | |