昭和45年(1970)

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昭和45年19701月3日実業家和島茂兵衛が没する。70歳。近江町の旧家で町収入役をつとめた先代和島茂兵衛の子。昭和2年経済知識の普及と実利を目的として和島債券部を創設。同19年に荘内証券(株)を設立して社長となった。市会議員を一期務める。加茂の尾形六郎兵衛をはじめ幅広く交際し、人望を集めた。浄福寺に葬られる。
1月25日弁護士松沢竜雄が没する。76歳。北平田村牧曽根の出身。東京帝国大学法科卒。三井物産入社。のち内務省に入り、岡山・千葉・福井県等の部長を歴任。朝鮮総督府に移って外務部長、専売局長、京・畿道知事をつとめる。昭和17年弁護士を開業、戦争犯罪人に指名された南次郎・小磯国昭両元陸軍大将の弁護人を引き受けた。東京都小平霊園に埋葬される。
1月25日酒田中央ライオンズクラブが設立する。初代会長本郷浩・会員数36名。
1月酒田西高等学校の地学クラブが「月山火山の地学的研究」で日本学生科学賞の内閣総理大臣賞をうける。
2月「庄内地域開発の構想」が庄内調査会から報告される。
2月4日庄内松山城大手門が県指定文化財となる。
3月6日酒田測候所が亀ケ崎一丁目4の14に庁舎を移転する。
3月17日酒田電報電話局で鉄筋コンクリートニ階建局舎を新築する。
3月25日港橋が完成する。工費7,100万円。(酒田市議会史年表)
3月25日「浜田橋」が完成する。工費3,642万円。(上に同じ)
3月市議会を標的に全日自労酒田支部の失対事業打切り反対闘争が激しく展開される。
4月1日市立酒田病院地内に一市五町立伝染病院が開院する。(工費3321万円)(酒田市議会史年表)
4月亀ケ崎小学校と西平田小学校を統合して亀城小学校と改称、西平田小跡に第三中学校を増改築して移転、第三中跡に港南小学校が新設される。(酒田市制50年)
4月東平田中学校を平田中学校に統合する。(上に同じ)
4月酒田南高等学校に特別進学科が開設される。
4月酒田保育専門学校が開校する。
5月5日第一回酒田市こどもまつりが開催される。
5月『石油馬鹿』が発刊される。著者、山岸龍太郎。
7月16日ハバロフスク市で開催の日ソ沿岸市長会議に小山市長が出席する。
7月17日鳥海ブルーラインが開通する。(酒田市議会史年表)
7月17日上田・西荒瀬、19日黒森各小学校のプールが完成する。(上に同じ)
7月文部省委嘱により庄内婦人短歌セミナーが本間美術館講堂で開かれる。
8月4日郷土史家、甲崎環が没する。88歳。太万伎・袋聾。鵜渡川原村に生まれ、長く米穀取引所につとめるかたわら郷土史や古文書の勉学にはげみ、戦後、本間美術館の学芸員として活躍した。酒田古文書同好会の講師として後進の指導に当る。伊勢物語の塗籠本の発見者として著名、茂吉文化賞、酒田市から表彰を受ける。市史編さん委員。広専寺に葬られる。著者『志村伊豆守』『亀ケ崎史話』。
8月4日酒田北港(宮海)の起工式が行われる。本港は最上川河口のため土砂が流れこみ限界があることから、近代的築港技術により、大型の近代港湾をつくろうというもので、酒田にとってまさに歴史的なことである。
8月6日指物師、斎藤兼吉が没する。86歳。如斎、指物師斎藤与惣右衛門の六男として馬場小路に生まれる。名匠鉄砲屋亀斎(鈴木浅吉)および後藤又吉の通い弟子となる。大正7年上京し、前田桑明に師事する。同13年にはパリ万国博覧会へ食器棚を出品して受賞する。
8月14日東大通り商店街連合により、新井田川での灯籠流しが行われる。
8月21日酒田バイパスの起工式が行われる。(酒田市議会史年表)
9月30日最上川河口に市民レクリエーション広場が設置される。(酒田市議会史年表)
9月飛島のダムが完成する。貯水量4,500トン。(飛島誌)
9月来酒中の岸洋子が倒れ、市立酒田病院に緊急入院する。
10月1日国勢調査、96,072人(前回より90人増)。男45,490人・女50,582人。世帯数24,454。
10月16日公共下水道の起工式が行われる。(酒田市議会史年表)
10月『鈍行列車』(随筆集)が発刊される。著者、荘司芳雄。
11月3日林昌学園が酒田市表彰条例による表彰を受ける。(酒田市議会史年表)
11月21日中平田公民館が完成する。(上に同じ)
11月遊摺部への中央板紙㈱の誘致問題が起こり、最上川汚染による公害を心配して反対運動が起こる。(上に同じ)
東平田出身酒田西高校の土田恵子はソウルで開催の日韓高校スポーツ交歓大会で、女子走り幅とび1位。タイのバンコクで開催の第6回アジア大会では3位に人賞する。(酒田市制50年)
河井良一が岩手国体の相撲一般個人の部で優勝する。(上に同じ)
飛島で電気事業を東北電力に移管する。
この年大豊作。