昭和47年(1972)

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昭和47年19721月5日中町二丁目丸本商店から出火し、店舗と住宅各1棟を全焼し、さらに店舗2棟、住宅5棟を類焼し、焼死者2名を出す惨事にいたった。(酒田市制50年)火事
1月11日老人福祉センターが完成する。2月1日から利用開始。(酒田市議会史年表)
2月1日酒田市公害防止対策審議会が発足する。
2月1日今町出身の詩人吉野弘(酒商卒)が詩集『感傷旅行』を出版、その現代詩としての思想性と、わかりやすさを評価されて「読売文学賞」詩歌俳句賞を受ける。そのほか『消息』『幻・方法』『10ワットの太陽』『北入曽』『風が吹くと』『叙景』『陽を浴びて』等の詩集がある。人間や社会の苦しさや、醜さをサラリーマン出身らしい、普通人の眼、しかも鋭い感性とやさしさで、見すえた“詩”は注目される。
2月9日酒田市では公害防止協定覚書第一号を鉄興社と締結する。(上に同じ)
3月14日畜産公社の食鶏処理加工場が竣工する。
3月24日一般から公募の新造船の船名が「とびしま丸」と決定する。
3月27日食糧事務所酒田支所の庁舎が落成する。
3月東ふ頭5千トン岸壁2バースが完成する。(着工45年4月1日)
3月市営光ケ丘庭球場南コート4面が完成。昭和50年には夜間照明設備を取付ける。(酒田市制50年)
3月上水道第五次拡張工事が竣工する。(酒田市水道50年の歩み)
4月1日上田農協等酒田地区の9農協が合併して、酒田農業協同組合が設立する。
4月学区改編。浜田小学校区を分離し、第二中跡に若浜小学校を新設、第二中学校は浜田堰(現新橋四丁目)に新築移転する。(酒田市制50年)
4月駅東一・二丁目地区、駅東第一土地区画整理事業が完了する。
5月10日入船町に市営体育館が完成する。46年7月着工、3,000㎡、工費1億1,200万円。(酒田市議会史年表)
5月市役所で機構改革をし、部制をしく。4部14課45係(上に同じ)
5月順次に各地区出張所を廃止し公民館態勢に移行する。(酒田市議会史年表)
6月17日出羽大橋が開通する。昭和43年1月起工。817メートル。これにより宮野浦渡し船はその姿を消した。(酒田市議会史年表)
6月20日千石町一丁目に東北電力新営業所が竣工する。
6月25日北港開発と公害を考える市民対話集会が開かれる。
7月1日シルバー人材センターが開所する。
7月4日ソ連邦、トリバエフ(思想出版社長)、スミルノフ(日ソ協会書記)が来酒する。
7月5日酒田市立第二中学校が竣工する。
7月6日中町アーケードが竣工する。
7月20日住友軽金属工業株式会社との公害防止協定を調印する。(県・市・住軽金)(酒田議会史年表)
7月25日酒田開港三百年記念行事が行われる。(上に同じ)
8月1日酒田バイパス全線が開通する。(昭和36年設計、昭和45年8月着工、総事業費15億円)(酒田議会史年表)
8月3日第47回高校総合体育大会開催。皇太子ご夫妻が来酒される。酒田では女子バレーボール・男女軟式庭球・ボクシングが行われ、ボクシングヘビー級で南高等学校の斎藤彰が優勝する。
8月ソ連のジェレズノゴルスク・イリムスキー市から姉妹都市の申し入れを受ける。(酒田議会史年表)
8月20日『酒田の本間家』が発刊される。著者、佐藤三郎。
9月7日寿町出身の島影せい子がユニチカ貝塚のバレーボールチームの主力メンバーで、西ドイツのミュンヘンで開かれた五輪大会に出場、女子バレーボールで2位に入賞する。(酒田市制50年)
9月新橋二丁目地区、新橋第一土地区画整理事業が完了する。
9月東町一・二丁目地区、上戸沢土地区画整理事業が完了する。
10月2日羽越線電化が竣工する。
10月30日酒田城輪柵跡の発掘調査の結果、ほぼ平安時代の出羽国府であると推定される。(酒田市議会史年表)
11月3日前田巌・小野太右衛門が酒田市表彰条例による表彰を受ける。(上に同じ)
11月4日上田公民館が竣工する。約460.2㎡、経費1,694万円。(上に同じ)
11月13日火力発電所設置による公害問題が起る。革新系は電力基地にされることによる公害発生を懸念する。(上に同じ)
11月13日能書家、教育者佐藤常太郎が没する。83歳。愛竹、荒瀬町に生まれる。山形師範卒、地元小学校に奉職、一条小学校長を最後に教職を去り、光丘文庫・商工会議所・帝石に勤める。幼少より山口半峰に習い、書をよくする。晩年は市史編纂室に勤め古文書解読にあたる。また酒田古文書同好会の講師となる。持地院に葬られる。
11月宮野浦九木原公園東に「宮野浦渡船記念碑」がたてられる。安孫子藤吉書、裏面は阿部鳳堂書。
11月『将棋漫話』が発刊される。著者、竹内淇洲。
12月1日~2日夕刻にかけて強風に見舞われ、酒田で最大瞬間風速32.2メートルを観測。庄内浜沿岸と飛島で船舶被害125隻を出す。
12月1日新魚市場が竣工する。
12月5日自治功労者五十嵐喜一郎が没する。82歳。喜澄。宮野浦に生まれる。湯野浜恵比寿屋旅館の養子となる。旅館経営のかたわら県会議員となり、砂丘農業開発、海岸道路の整備等地元の交通、観光、産業の振興に貢献する。庄内電鉄取締役・湯野浜温泉自動車・鶴岡日報社の社長・思恩会理事長・湯野浜乗慶院に葬られる。
12月16日定例県議会は酒田北港工場用地の契約をめぐり、公害問題で空転する。(酒田市議会史年表)
12月22日酒田市大字豊里地内の国道7号線酒田バイパスにおいて、居眠り運転の大型トラックが一時停車中のパトカーに激突し、同乗していた県警機動警察隊庄内方面隊員3名が殉職する。
飛島で鳥獣保護区(10年時限法)の指定をうける。(酒田市制50年)
教育機器整備がはじまる。(全市小中校へOHP等導入)
庄内視聴覚教育協議会が設置される。
山形インターハイにおいて酒田東高校が団体徒手体操で優勝し市内パレードをする。51年長野インターハイ優勝と2度の優勝を達成する。その他インターハイおよび団体では二十年余にわたって連続入賞する。(酒田市制50年)