昭和52年(1977)

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昭和52年19771月1日哲学者斉藤信治が没する。71歳。斉藤常蔵の長男として下台町に生まれる。酒商から東北帝国大学卒。カイロ大学留学。北海道大学教授となる。その後、神戸大学・京都大学・中央大学・学習院大学で哲学を講ずる。文学博士。著書『ソクラテスとキェルケゴール』『回教に於ける個体』『実存主義者の時局観』『哲学入門』『不安の概念』等。海晏寺に葬られる。
1月8日近年にない豪雪となる。1月の平均気温、酒田で零下1.3度。
1月22日酒田市では国や県の指導を受けながら大火被災地の復興に当り、第一に防災都市と、それから近代化商店街や住宅街の建設を目ざす。そのため減歩、換地式をとり入れる。被災者の換地説明会を産業会館で開催する。(酒田市議会史年表)
1月31日若宮町に罹災者用市営アパート・県営アパートを完成する。(上に同じ)
1月住軽アルミが精錬部門の操業を開始する。しかし、圧延部門については操業のメドが立たず、地元に不安をなげかける。
2月23日火災復興区域内の一部で修ばつ式が行われ、整地工事を開始する。(酒田市議会史年表)
2月『善治日誌』上・下巻が発刊される。編集、豊原研究会。
3月26日農村指導者富樫広三が没する。73歳。富樫雄三の長男として東田川郡大和村小出新田に生まれる。開拓指導者加藤完治に師事、西荒瀬村助役、北部農業委員会長、飽海郡農村工業協同組合連合会長、庄内経済連常務理事として活躍。農村通信社を経営する。著書『無駄なき遍路』『村社和泉神社誌』斉藤信治との共著『読書の思い出』。海晏寺に葬られる。
3月光ヶ丘に山形県地方検察庁酒田支部、酒田区検察庁の庁舎が新築竣工する。
3月亀ヶ崎五・六・七丁目地区、内川原土地区画整理事業が完了する。
3月東泉町二丁目地区、元泉第二土地区画整理事業が完了する。
3月新橋一丁目・北新橋一・二丁目地区、北新橋土地区画整理事業が完了する。
4月1日東高野球部が春の甲子園における第49回全国選抜高校野球大会に出場する。(酒田市議会史年表)
4月2日実業家、池田亀三郎が没する。92歳。浜町に生まれる。東京帝国大学工科大学卒。三菱合資会社に入る。昭和14年日本化成工業(株)社長、同19年三菱化成工業(株)の社長となり、同31年三菱油化(株)を設立して社長、同33年石油化学工業協会長、同36年経団連常任理事を務める。日本の石油化学工業を振興させた第一人者として著名。四日市や鹿島の石油コンビナート方式の功労者。国家を中心に実業を考えるとともに合理主義者でもあった。多摩霊園に葬られる。
4月28日酒田共同火力と公害防止協定の見直し調印をする。(酒田市議会史年表)
4月世界真光文明教団酒田連絡所が駅東にできる。所長鈴木俊三。62年3月教団から陽光子友の会が分かれ、上本町に道場ができる。
5月20日大火復興祈願の山王祭りを盛大に行う。現中央公園の所に高い祭壇を設け、下日枝神社神主が、けがれを拂い、安らけく平らけき酒田の復興を鎮守の山王大神に祈願し、その後、清めの願いをこめて御輿行列を行う。「復興祈願山王祭」の旗が何十本も立ち並び、酒田市民の復興にかける燃えるような意気を示した。
5月『酒田の名工名匠』発刊、著者、伊藤珍太郎。
6月1日市街地の一部に、防火・準防火地域を指定する。
6月10日第一回の仮換地を指定する。(酒田市議会史年表)
6月11日『伊勢物語』塗籠本が重要文化財に指定される。(本間美術館の37年)
7月1日酒田市復興対策事務所を中町の中村太助商店2階に置く。
7月1日酒田大火復興対策県市連絡会議を設置する。
7月28日中通り商店街振興組合が創立する。
7月30日被災地の一部で建築工事が始まる。(酒田市議会史年表)
7月30日「山王森の緑を育てる会」が発足し、山王森の整備につとめる。初代会長、医師藤山大蔵。58年4月27日、その功績が認められ、朝日新聞社から「朝日森林文化賞」を受ける。会員約250名。
7月酒田市振興計画がまとまる。
8月1日市役所屋上に防災用サイレンを設置する。
8月8日8・9両日に170ミリもの大雨が降り、約170戸で床下浸水する騒ぎがある。(酒田市制50年)水害
8月酒田工業高校が夏の甲子園野球大会に出場、1回戦で都城(九州)高校を5対2で破る。(酒田市議会史年表)
10月12日酒田共同火力が操業する。(出力35万キロワットニ基)
10月29日この日を酒田市防災の日に指定する。(酒田市議会史年表)
10月高見台一・二丁目地区、高見台土地区画整理事業が完了する。
11月2日杉原千代太・土田久太郎が酒田市表彰条例による表彰を受ける。(酒田市議会史年表)
11月3日「志士斎藤元宏君の碑」を招魂社内に有志の手で再建する。
11月3日グラフィックデザイナー、詩人の佐藤十弥が茂吉文化賞を受ける。
11月8日~10日大火記録映画復興編のロケーションが、テレビ朝日映像で始められる。
11月酒田大火被災児童の体験作文を特集した浜田小学校の文集「うみなり」が高山樗牛賞を受ける。
12月18日広野保育園が竣工する。
12月『地方十万都市』が発刊される。著者、小山孫次郎。
市勢要覧『焔の記録』を出版する。酒田市刊。
酒田大火により消防行政の見直しが始められ、この年、15名、翌53年9名、54年9名の計33名の署員が増員された。
今野茂一(酒北卒)はボクシングの全日本ベルト争奪杯で、ライトミドル級で優勝する。翌53年、全日本選手権大会同級で優勝する。
金子孝(酒南卒)はボクシングの全日本ベルト争奪杯で、ライトフライ級優勝。全日本学生社会人対抗選手権で優勝。翌53年もライト級で連続優勝する。(酒田市制50年)