昭和54年(1979)

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昭和54年19791月22日独文学者・ゲーテ学者、斎藤栄治が没する。69歳。筑後町に生まれる。酒田中学・山形高等学校を経て東京帝大独逸文学科卒。「新思潮」(第十二次)に拠り創作・評論・随筆・劇評等で活躍。ゲーテ『詩と真実』、ホーエンシュタイン『ゲーテーピラミッド』、ヒルティ『幸福論』『病める魂』、カロッサ『若き日の変転』等訳書多数。一高、東京大学教授、同名誉教授。また同人誌『運河』を通じて若手作家を指導、柏原兵三らを育てる。浄福寺に葬られる。
1月歌集『生死』が発刊される。著者、斎藤修治。
1月『夢二みちのく』が発刊される。著者、山岸龍太郎。
2月公共職業安定所が上安町一丁目の警察署附近に新築移転する。(酒田市議会史年表)
3月10日北新橋郵便局が営業を開始する。
3月30日~31日強風のため通信施設や船舶に被害が出る。羽越線運休、停電5400世帯。
4月1日庄内交通による市内循環バス、タウンタウン号が運行開始される。
4月22日市議会議員、市長選挙が行われ相馬大作が三選される。(酒田市議会史年表)
4月酒田大火復興まつり(11月まで)延べ72万人で賑わった。
4月ミス復興まつりコンテストが行われ、初代ミスポート2名が選ばれる。
4月市では元伊藤四郎右衛門(その後池田亀三郎氏の別荘)の浜田にある庭園を買収し、清亀園として一般に解放する。青年センターが管理する。(酒田市議会史年表)
4月五十嵐義夫が教育功労(体育振興)により藍綬褒章を受ける。
5月12日小松仔秋が17代市議会議長となる。(酒田市議会史年表)
5月19日酒田大火復興記念式典を市民会館で行う。「酒田音頭」を発表する。(上に同じ)
5月県立酒田北高等学校が宮海に新築移転する。
6月26日東大通りに地下歩道が開通する。(酒田市議会史年表)
山形県立庄内工業試験場が完成する。
7月19日~20日日本砂丘研究会が酒田農協を会場にして行われる。
7月20日~8月20日宮野浦海岸に市営海水浴場を開設する。(酒田市議会史年表)
7月21日北防波堤計画延長2千メートルを達成する。
8月5日『酒田ききあるき』が出版される。著者、田村寛三。
8月駅前に映画館「テアトル酒田」が開館する。
8月四ツ興野地区、四ツ興野土地区画整理事業が完了する。
9月10日酒田市で庄内文化賞を制定。10月21日第1回に酒田市の陶芸家池田退輔が受賞する。
9月15日酒田ロータリークラブが日和山公園に「暑き日を海にいれたりもがみ川」の芭蕉句碑を建立する。(酒田市議会史年表)
9月緑ケ丘一・二丁目地区、緑ケ丘土地区画整理事業が完了する。
10月8日ソ連ジェレズノゴルスク市と姉妹都市を締結調印(於ソ連ウランウデ市)する。(酒田市議会史年表)
10月23日公共下水道終末処理場の一部供用を開始する。(上に同じ)
10月23日法蓮寺の堂の前遺跡が国指定の史跡となる。
10月25日商船大学帆船「海王丸」が西埠頭に寄港する。(上に同じ)
10月29日東大通り緑地に防災の塔が完成する。(上に同じ)
11月2日藤井康夫・加藤勝美が酒田市表彰条例による表彰を受ける。(酒田市議会史年表)
11月15日医師岸田隆が短歌活動により高山樗牛賞を受ける。
11月『酒田の石造文化』発行、著者、荘司芳雄。
12月2日社会党の県会議員梅津金吉が没する。71歳。吹浦女鹿の本多家に生まれ、宮内村の梅津喜一郎の養子となる。長年、教員をつとめ、組合運動をへて、県会議員となり活躍する。
12月3日城輪柵跡から、わが国最古の将棋の駒が出土する。(酒田市議会史年表)
12月12日「酒田市は全国の地方都市中最も住みやすい」とのデータを名古屋大学の真継助教授が発表する。(酒田市議会史年表)
12月商工組合中央金庫酒田出張所が開設する。
12月富士見町二丁目地区、札谷地第一土地区画整理事業が完了する。
12月東山市民スキー場が開設する。