昭和55年(1980)

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昭和55年19801月25日巡視艇「べにばな号」が海上保安部に配置される。
1月酒田大火に寄せられた義援金は8億1,300万円、救援物資7万個、トラック8台分であった。(酒田市議会史年表)
1月消防署に救助工作車が配置される。
1月生活環境総合指数で酒田市が日本で第一位となる。
2月「新生酒田一九七九」というタイトルの大火編「炎の軌跡」復興編の映画が完成する。
2月大火復興酒田中町地区再開発事業が竣工する。
2月「飯森山公園」(カルチャーパーク)に着工する。
3月16日宮野浦小学校が竣工する。
3月『酒田市水道50年の歩み』を発刊する。編集、酒田市。
3月伊藤農業賞が創設され、渡部次郎と佐々木啓策が受賞する。
3月木造洋風建築「白崎医院」(大正8年築)を招魂社境内に移転復元する。(酒田市議会史年表)
3月錦町三・四丁目地区、川南第一土地区画整理事業が完了する。
4月1日酒田駅に観光案内所が設置される。
4月酒井新田に泉小学校が開校する。
4月作家森万紀子(本名松浦栄子、本町松浦長次郎の二女)が小説『雪女』を発表する。これにより泉鏡花賞を受賞する。
5月14日詩人佐藤十弥が没する。72歳。伝馬町の医師佐藤広の第十子。酒田の文芸詩「骨の木」の同人。グラフィック・デザイナーとして商店街の商業美術面で活躍し、「みちのく豆本」の装丁、本間美術館のポスターや刊行物を担当した。斎藤茂吉文化賞を受賞。日和山公園に文学碑「海の詩」が建てられた。海晏寺に葬られる。
5月20日警察官で昆虫学者である白畑孝太郎が没する。66歳。警察署に勤務するかたわら、昆虫の調査研究にはげみ、山形県総合学術調査専門調査員となり、採集した標本の数は十数万点におよぶ。茂吉文化賞を受賞する。
5月山王祭りを酒田まつりと改称、シンボルの大獅子とおばこ山車が巡行する。
5月光ケ丘二丁目の旧警察署跡に、山形県立親子スポーツ会館が完工する。(酒田市議会史年表)
6月酒田商工会議所婦人部が設立する。
6月紙塑人形の技法で知られアララギ派の歌人としても高名な人間国宝鹿児島寿蔵の碑が、若き日の大正13年夏に渡った飛島に建立される。飛島の自然美八首を詠んでいる中の一首。直筆。鳥海山の山裾かすむ海の上かぎりも知らに秀波たち見ゆ
7月14日~16日庄内地方に大雨降り、田畑の流失118ヘクタールのほか、道路15ヵ所、堤防21ヵ所が損壊する。水害
7月障害者福祉都市推進事業の一環として福祉バスを運行する。
8月15日中央図書館へ石原莞爾蔵書のうち軍事学関係の外国書1070冊、日本書930冊外にノートや原稿等425点の寄贈を受ける。中に極めて貴重なものがあるといわれる。63年に蔵書目録を出版する。
8月30日財団法人日本消防協会より消防署へ防災用救急資器材搬送車が寄贈される。
8月境興野遺跡を発掘調査する。
8月全国高等学校総合体育大会ボクシング競技、ライトフライ級で南高校の横沢健二が優勝する。
8月冷害深刻になる。
10月1日国勢調査、人口102,600人。(酒田市議会史年表)
10月ボーイスカウト山形第七十四団が発足する。団員約50名、団長伊藤進。
11月1日医師白崎重治と故白畑孝太郎が酒田市表彰条例による表彰を受ける。(酒田市議会史年表)
11月3日俳人秋沢猛が茂吉文化賞を受ける。
11月4日酒田郵便局が新井田町に新築移転する。(上に同じ)
11月9日強風のため酒田港で漁船が沈没し、2名死亡する。
11月18日酒田市少年、婦人防火委員会が設置される。
11月『夜明けをめざして』が発刊される。著者、竹内丑松。
12月8日北高跡に本楯小学校の新校舎が完成する。(酒田市議会史年表)
12月13日韓国船モックナン号が酒田港北側の海岸に座礁。韓国人乗組員27人全員が救助される。(上に同じ)
12月29日大雪が再来。陸も空もマヒ状態となる。
低気圧の異常発達により飛島で漁船10隻が転覆沈没する。
酒田市心身障害児就学指導委員会が設置される。
ジャーナリスト大平楨介が没する。79歳。慶応義塾大学卒。報知新聞・サンフランシスコ新世界新聞・ロサンゼルス日米新聞・朝日新聞の記者を経て、昭和21年山形新聞編集局長となる。医学者大平得三の弟。随筆集『その日その日』がある。
東泉町に公共下水道終末処理場が完成する。工費4億7千万円。