元号年 | 年 | 月日 | 事項文 | キーワード |
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昭和58年 | 1983 | 1月7日 | 日本学生科学賞中学校個人研究の部で、酒田二中3年生の久保田香織が科学技術庁長官賞に、2年生の本間明美が二等賞になる。 | |
2月 | 本間市郎治と森谷繁治が伊藤農業賞を受賞する。 | |||
2月 | 『酒田文化出会学』が発刊される。著者、佐藤健一。 | |||
2月 | 句集『砂潟抄』が発刊される。著者、佐藤いさむ。 | |||
3月15日 | 北今町に県内初の身体障害者福祉センターが完成する。 | |||
3月29日 | 古湊ふ頭第一号岸壁(5万トン)が完成する。(着工55年5月) | |||
3月 | 『酒田市制50年』が発刊される。発行者酒田市。 | |||
3月 | 上安町一・二丁目地区、上安谷地土地区画整理事業が完了する。 | |||
4月5日 | 北日本石英新工場が竣工する。 | |||
4月7日 | 実業家風間慶三が没する。73歳。鐙谷一郎の三男。京都帝国大学法学部卒。鶴岡の風間家の養子となり、さらに東京大学文学部卒。昭和カーボン入社。昭和18年荘内銀行に転じ、重役として戦後の再建充実につとめる。鶴岡商工会議所会頭。安祥寺に葬られる。 | |||
4月24日 | 酒田市長、市議会議員選挙執行、相馬大作が市長に四選される。 | |||
4月 | 市議会議員小松仟秋が地方自治の功により勲四等瑞宝章を受ける。 | |||
4月 | 市制50周年記念式典を市民会館で行う。 | |||
4月 | 酒田市東山墓地公園が開設する。 | |||
4月 | NHK朝の連続テレビドラマで「おしん」が放映され、記録的視聴率を誇る。おしんが酒田の米問屋加賀屋に子守として奉公することから、酒田はおしんのふるさととして人気を集める。 | |||
5月26日 | 午前11時59分、秋田沖を震源とする日本海中部地震が発生し、秋田等で津波により小学生を中心に104名が死亡する。(マグニチュード7.7)酒田市震度4、酒田港最大波高、約85センチメートル。船舶漁船沈没、飛島・酒田で計9隻。 | |||
5月 | 星川八郎が第19代市議会議長となる。 | |||
6月4日 | 大通り公園に斎藤勇の歌碑が黄鶏社によってたてられる。 焼跡にそそぎし涙 かわくまで 朝の光りよ 清々と射せ | |||
7月21日 | 酒田駅前のおしん像の除幕式が行われる。 | |||
7月23日 | 教育者平田亨が没する。63歳。営林署員平田豊作の次男として父の任地秋田県南秋田郡で生まれる。東京帝国大学文学部支那哲学科卒。酒東教諭として活躍するかたわら、元外交官桑原鶴に師事して桑原が提唱する“国体明徴運動”の実践者となって戦後の教育改革に挺身する。昭和42年県高教組委員長、43年酒田東高校長となる。58年4月「酒田民主市政を確立する市民会議」からおされて市長選に立候補して善戦したが落選する。法華経を信仰、短歌をよくした。国体明徴の論文を数多く執筆する。松本十郎の研究者としても知られる。中曽根前首相の指南番四元義隆の知遇を受ける。妙法寺に葬られる。 | |||
7月23日 | 『酒田地区歯科医師会会史』が発刊される。著者、小山松勝一郎。 | |||
7月 | 『さくらんぼの楽譜』が発刊される。著者、岸洋子。 | |||
8月4日 | 港祭りの踊りパレードに、おしん役の小林綾子が参加し、熱狂的歓迎を受ける。 | |||
8月5日 | 第8回全国少年少女ヨット大会が開催される。 | |||
8月7日 | 歌人藤井康夫が没する。79歳。風流人として知られた堀切の素封家藤井伊一の長男。浮世絵版画の研究、収集で中央にも名を知られた。酒田短歌会を創立し,指導者として活躍する。高山樗牛賞受賞。大信寺に葬られる。著書、歌集『孤雲抄』『遠山』随筆集『茂吉落穂集』『酒田膝栗毛』『西鶴と酒田』その他。 | |||
8月 | 全国高等学校総合体育大会陸上競技400メートルで南高等学校の高橋正知が優勝、同大会ボクシング競技ミドル級で岩下健剛が優勝する。 | |||
8月 | おしんブームで観光客が急増し、特に山居倉庫が人気をよんだことから、市では急遽、講習会を開いて、観光案内者を養成し、ボランティアによる観光案内を開始する。 | |||
9月1日 | 市立図書館が巡回文庫を地区公民館に開設する。 | |||
9月2日 | 学芸功労者本間祐介が没する。76歳。本間敬治の次男として稲荷小路に生まれる。船場町で釣具店をしていたが、昭和18年、37才のとき本間宗家の委嘱で後見人となり、引続き終戦後の農地解放や本間家再興に力を尽した。本間物産社長、山形銀行取締役等を歴任し、経済面で活躍する。光丘文庫長、庄内育英会会長。同22年本間美術館を設立し、のち館長に就任し高度の美術展を数多く催し、文化向上に多大の貢献をする。古美術の鑑定家として知られる。山形県文化財専門委員長、酒田市史編さん委員長、酒田文化財審議委員長となる。戦後の酒田を代表する人物として大宅壮一からも評価された。浄福寺に葬られる。著書『庄内竿』『私の半生記』『庄内釣話』『無為庵覚書』(佐藤七郎編)がある。 | |||
9月25日 | 第1回酒田市・ジェレズノゴルスク・イリムスキー市少年通信陸上競技大会が行われる。 | |||
9月 | 亀ケ崎土地区画整理組合で排水溝の工事中、五丁目東端から「丸の御橋」の橋脚等が発見され、「亀ケ崎城丸の御橋跡」の碑をたてる。ここで頼春水等が酒田の文人と別れの野宴を張った。 | |||
9月 | コーテック株式会社が操業開始する。 | |||
9月 | 歌集『春松風』が出版される。著者、高橋元良。 | |||
9月 | 宮野浦一丁目地内に「九木原公園」が完成する。 | |||
10月1日 | 飯森山公園に、酒田市制50周年記念事業に合わせ「土門拳記念館」がオープンする。鉄筋コンクリート2階建、設計・谷口吉生、飯森山のまろやかな自然環境にマッチした直線的で、調和のとれた建物は、62年に芸術院賞を受けた。中庭の彫刻「土門拳」はイサム・ノグチの作品。銘板エントランスホールは亀倉雄策、視聴覚室前の庭園「流れ」は勅使河原宏の作である。日本最初の写真美術館ともいわれる。「拳湖」(詩人草野心平書)とよばれる池のまわりには、62種、一万株の「あじさい」が植えられ、毎年「あじさい祭り」が開かれる。 | |||
10月11日 | 農政家山木武夫が没する。90歳。栄太、孫左衛門。農業山木孫左衛門の長男として新堀落野目に生まれる。県立自治講習所に入り加藤完治の教えを受ける。昭和2年落野目信用組合をつくり組合長となり、産業組合に発展させて、農業倉庫の設立に盡す。21年衆議院議員に推され無所属として翌年まで在任。我が国における農業協同組合の基盤を確立した功労者。新堀村長、酒田市会議員のち議長。80歳で一切の公職を去り温海町に隠棲して、念願の坐禅と「正法眼蔵」の参究に没頭する。落野目地内墓地に葬られる。 | |||
10月24日 | 上空5千メートルに、零下30度の寒気が入ったため、庄内全域に降雹があり、庄内柿に大きな損害を与える。 | |||
10月 | 第1回酒田圏域地場産業振興展が開催される。 | |||
10月 | 秋の祭りとしてこばえちゃ祭りを開催(翌年以降どんしゃん祭りと改める)する。 | |||
11月1日 | 『酒田市議会史』(上・下・年表)が発行される。 | |||
11月2日 | 市制50周年事業タイムカプセル埋設式が(文化センター北側)行われる。 | |||
11月7日 | 小山松勝一郎が清河八郎研究等により、高山樗牛賞を受賞する。 | |||
11月10日 | 飛島小中学校新校舎が竣工する。 | |||
11月15日 | 前市議会議長、登坂繁が没する。68歳。松山町に生まれ国有鉄道に就職、酒田機関区勤務から組合運動に入り理論的指導者として活躍する。その後30年から54年まで市議会議員となり、53年議長となる。長泉寺に葬られる。 | |||
11月30日 | 市民の誓いの発表会が開かれる。 | |||
本間美術館が文部大臣から第1回地域文化功労者賞を受賞する。 | ||||
この年より旧町名保存事業が始まる。(全部で64町名に標柱を建てる) | ||||
山岸龍太郎等が「本の会」を設立し、60年から季刊誌『柊』を発行する。 |