元号年 | 年 | 月日 | 事項文 | キーワード |
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昭和59年 | 1984 | 1月16日 | ~17日寒波のため酒田港が結氷。国道7号線酒田-広田間、47号線酒田-新堀間が、猛吹雪のため交通途絶する。 | |
| | 1月 | 『南北文化の接点としての庄内平野』(古代の日本海)が発刊される。著者、佐藤禎宏。 | |
| | 2月7日 | 寒波のため市内の水道管破裂が相次ぐ。同8日、200軒で断水したため給水車が出動する。 | |
| | 2月18日 | 伊藤農業賞を、梅津金四郎・佐藤弥市が受賞する。 | |
| | 3月7日 | 「おしん」の作者橋田寿賀子の講演会が市民会館で開かれる。 | |
| | 3月24日 | 酒田観光みやげ品センターが山居倉庫側の旧市農協事務所にオープンする。 | |
| | 3月27日 | 酒田共同火力への石炭船第一船入港式が行われる。 | 港 |
| | 3月 | 中央図書館が録音図書の貸出しを開始する。録音は「日和会」で行う。 | |
| | 3月 | 都市計画市街化区域及び市街化調整区域の決定をし、県下第二の「線引き都市」となる。 | |
| | 3月 | 若浜町地区、若浜土地区画整理事業を完了する。 | |
| | 3月 | 中央高校弓道部が全国高校弓道選手権大会で準優勝する。 | |
| | 4月 | 港南小学校に特殊学級を開設する。 | |
| | 4月21日 | 庄内の俳人たちが日和山公園に秋沢猛の句碑をたてる。やはらかく蝙蝠あげぬ港町 明治39年(1906)高知県に生まれる。高校教師として酒田へ在住し、俳誌『氷壁』主宰。句は酒田港と酒田人の人柄を、ふんわりと蝙蝠(こうもり)をあげたかの如く感覚的に表現し、港町に寄せる郷愁をよんだもの。 | |
| | 4月 | 酒田ブロック広域行政研究会で。“北庄内ふるさと小説集”を発行する。 | |
| | 5月22日 | 庄内空港建設候補地が浜中を中心とすることに決定する。 | |
| | 5月25日 | 旧鐙屋の建物が国指定の史跡となる。 | |
| | 6月14日 | 五万トン級の第一船が入港(英国船Sir John Fisher号)する。 | 港 |
| | 7月18日 | 大雨のため浸水家屋が発生する。 | 水害 |
| | 7月28日 | ~8月18日酒田の真夏日連続日数22日間を記録。晴天少雨のため。飛島では上水道の制限が行われる。 | |
| | 7月 | 『夢二断章』が発刊される。著者、山岸龍太郎。 | |
| | 8月11日 | 国際植生学会が開かれ、アメリカ・西ドイツなど22力国から67人が参加する。 | |
| | 8月 | 『本間美術館の37年』が発刊される。編集、佐藤七郎。 | |
| | 9月1日 | 酒田共同火力発電株式会社が重油から石炭焚きに転換する。 | |
| | 10月 | 「ナイスさかた」が発刊される。編集アド企画、発行、設楽京子。 | |
| | 10月 | 秋の収穫に感謝する祭りとして第1回酒田どんしゃん祭りが行われる。以後、継続して行われる・寺内タケシ一行が来て中央通りにステージをつくり熱演する。「どんしゃん」とは「酒田甚句」の歌詞の一部「どんどんしゃんしゃん」からとったもの。 | |
| | 11月2日 | 日和山公園に日本海をかたどった池をつくり、そこに千石船(模型)を浮べる。 | |
| | 11月2日 | 本間美術館の学芸員佐藤七郎が庄内文化賞を受賞する。 | |
| | 11月6日 | 酒田勤労者福祉センターがオープンする。 | |
| | 11月15日 | 「山王森緑を育てる会」より市(光丘文庫敷地内)へ中国風東屋一棟および付帯設備一式の寄贈を受ける。 | |
| | 12月22日 | 酒田市降雪の深さが43センチメートルを記録する。 | |