昭和60年(1985)

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昭和60年19851月広栄町一・二丁目地区、堰東土地区画整理事業が完了する。
2月東泉町一・三・四丁目地区、元泉第三土地区画整理事業が完了する。
3月1日酒田TDK株式会社が操業開始する。
3月6日中央図書館へ土崎「小松家文書」の寄贈を受ける。
3月14日酒田駅始発「特急いなほ号」の出発式を行う。
3月21日斎藤新左衛門と小野正一が伊藤農業賞を受賞する。
3月日和山公園に、酒田市制50周年記念事業として、「文学の散歩道」(新しく文学碑18基をたて、全部で27基となる)、「日本海修景池」「千石船の模型」「河村瑞賢翁銅像」等を整備完了する。日和山公園は大正初期の整備以来殆どそのままであり、特にグランドは、他にスポーツ施設ができたため、不用になったとの認識から、大改造の計画が持ち上り、市では委員会を設けて、市民の意見もきき、自然美と歴史と文学を、兼ね備えた「海事史公園」的性格を強めたものとした。その後、ここは桜花の名所として親しまれるようになった。
3月最上川漕艇場がB級漕艇場に認定される。
4月酒田市立第六中学校が設立する。
4月11日山居倉庫一号倉庫を「資料館」としてオープンする。
4月17日酒田市北部農民センターが竣工する。
4月20日日和山公園に「文学の散歩道」完成。作家井上靖夫妻を迎え除幕式と講演会を催す。
4月諏訪精工舎、エプソングループの本市進出が決定する。
4月『荘内藩の米札から山居倉庫米券への移り変り』が発刊される。著者、三上初子。
5月19日河村瑞賢翁銅像の除幕式と千石船の乗船式を行う。これにより日和山公園整備事業は完成し、面目を一新する。特に西方の売店あたりから見る河村瑞賢銅像を焦点とする眺めはすばらしい。
5月黒田弘が第20代市議会議長となる。
5月宮野浦ヨット置場が設置される。
6月2日農政家渋谷勇夫が没する。88歳。渋谷金太郎の長男として北平田村に生まれる。農業倉庫を建設するなど産業組合運動を推進してその中心的役割を果す。市議会議員のちに議長となる。酒田市政における保守の指導者として活躍する。新青渡宗淵寺に葬られる。
6月『飛島』が発刊される。著者、本間又右衛門。
7月18日教育者、斎藤英明が没する。91歳。馨泉、松嶺に生まれる。昭和14年林昌寺の住職となる。学校法人林昌学園を設置し理事長となり、酒田南高等学校を創設、さらに同41年東北短期大学を創設し同43年学長を兼務する。南画をよくし、美術品のコレクターとして知られる。林昌寺に埋葬される。没後、勲四等瑞宝章を受ける。
7月21日北第二防波堤第一号ケーソンを据付ける。
7月~8月高温・少雨・多照、酒田市最高気温30度以上8月1日~27日の連続27日間、無降水継続日数8月14日~8月24日の11日間。
8月27日市政功労者伊藤珍太郎が没する。81歳。曽典太、富豪伊藤悦太郎の長子として天正寺町に生まれる。講談社に勤務、のち満洲国赤十字社につとめる。酒田病院に入り、昭和34年、革新市長小山孫次郎のもと助役に挙げられる。退職後酒田市史編纂委員長をつとめる。川柳をたしなむ。浄福寺に葬られる。著書『庄内の味』『庄内から出た力士』『酒田の名工、名匠』『走馬灯』等。
8月東中の口に水道施設管理センターが完成する。
8月全日本学生軟式庭球選手権大会が開催される。
8月酒田市が通産省ニューメディア・コミュニティ構想モデル地域に指定される。
8月酒田市書道連盟が結成される。会長、佐高茜舟。
9月3日フランス文学者、斎藤磯雄が没する。73歳。東田川郡清川村の酒造業斎藤治兵衛(正義)の六男として生まれる。昭和37年明治大学専任教授、39年には大学院教授となる。東京小石川伝通院に埋葬。著書『フランスの詩と歌』『日夏耿之介論』。翻訳『ヴィリェ・ド・リラダン全集』五巻『ボオドレエル全詩集』その他。
10月国勢調査、本市の人ロ101,392人。
11月1日中国青年訪日友好の船が酒田に入港する。
11月30日五十嵐喜六と堀紀雄が伊藤農業賞を受賞する。
11月市営光ケ丘陸上競技場を全天候型トラックに改装する。
中心商業地の復興・再生を主要テーマに、43項目から成る「商業近代化地域計画」を策定する。