成者共計相選候為と、外組之者共感し入候体ニ
御座候。拙者事も右ニ準し至而達者ニ罷在候間
少しも御案事被レ下間敷、家内之者共江も此段為二御知一
被レ下度存候。次ニ、庄之助并村方之者共、至而丈夫ニ
上着いたし候間、是以早速御伝言被レ下度候。
扨、御場所之儀ハ、山計多ク【添川前山のことく左程高山もなく 松原計也】
存之外成事ニ御座候。三四丈も深掘ニ可二相成一所も
有之、此上、人夫さへ沢山ニ相成候得ハ早速も出来
可レ申哉。此頃、黒鍬土方雇之者千人計御頼被レ成候趣ニ御座候。
此方御手人より半分ならて仕業出来不レ申由、右ニ付、
追登之分、何程沢山参ニ登候とて御手閊ニ可二相成一義
少しも無レ之、登りさへいたし候得ハ、なんても宜御模様ニ
御座候。乍レ去、道中不法等有レ之候而ハ、以之外成事ニ御座候間、
此段ハ才料之役人能々可二心得一事ニ御座候
咋廿三日鍬入始御祝義有レ之、人夫御普請所江出候節ハ、
壱組江四本ツヽ日の丸の大四半を建、吹流ニ組の頭字
カナにて染抜、人足共ハ銘々組の頭字を染候木綿半
巾の腰旗を付、貝を吹、太鼓を打、表御門より
往返之様子、誠ニ軍中之有様とも被レ存候。差当
江戸便り有レ之候問、先着し候儘、早々申進候