為二取掛一申度旨之御沙汰、御座候由、越中山村大楯藤兵衛
大凡相考候所、出来迄五十弐万人位之よし、御雇人も日々
尚相増候様ニ御座候間、御手人足も相増候様仕度との
事ニ御座候
一、当所ハ海辺江近く候間、魚類沢山と国元ニ而考
参候所、案外之相違、是迄生肴と申ハ昨日この白の
煮付初而給候迄、干魚も無レ之、一体、近所城下と
申所ハ佐倉計、是以一向の場所ニ而、大商人と申程之者
壱人も無レ之由。私儀、先月廿七日、佐倉江三里買物
之為罷越候。結構成御城下ニ者候得共、聊の町並ニ御座候
其間ニ弐里、臼井宿と申所有。此所ハ此方様御旧領
御城之跡宿の西ニ有。今ハ畑ニ成、山ニ堀の形有、専ら印
旛沼をたのミといたし候様にて、右山下ハ直ニ沼也。同所ニ
日本無双之楠の大樹有。尚図ハ別ニ印ス。扨又、御系譜
三考ニ 天正十九年九月改二吉田一、賜二下総国臼井
城三万石一卜有
一、江戸表ゟ惣御役人中江
御直書両度被二成下一候趣にて、一昨日大庄屋衆も
被二仰付一、中々以不二一通一 御心配被レ為レ遊候御様子、難レ有
御意之趣ニ御座候