可レ掛所、二十万人位ニ而出来可レ申様子、左候得ハ、当年中
成就可レ致趣ニ御座候。 又、跡ニ而敷十間・法壱割五分と成
一、古堀筋此度御普請ニ付、田地之潰高八千石余之由、其余畑
場所、土置・土揚等ニ成候得ハ、多分之潰地ニ相成、此上御普請
成就無レ之候得ハ、近辺之者ドも如何共可二食次一手段無レ之、
依而持主之百姓等江戸江出、愁訴いたし候趣も相聞候
一、昨日ゟ、うし弐拾疋計ニ而掘上申候。中々無二覚朿一、壱疋ニ而十人
之働いたし候趣ニ付、試ニ御取掛被レ成候。 跡ニ而埓明不レ申延引
印旛詰病死人
御用済之上江戸ニ而御死去 御家老 竹内八郎右衛門
病キニ被レ成江戸江参候上 御目付 加藤九助
同 断 御代官 矢島逸策
印旛御小屋ニ而 御足軽 中野彦兵衛
印旛小屋ニ而 納方手代石塚六郎兵衛
小以四人
郷人夫病死之覚
一、九月三日七ッ時、下江地村 年六十 真義日遠信士 松右衛門