大正時代

最新酒田市街全図

(サイシンサカタシガイゼンズ)


最新酒田市街全図

時期:大正初期

作成年:大正4年4月25日

所蔵:個人蔵

酒田駅開業記念式典当日に発行された市街図であり、秋田町にあった中川屋旅館の名前が入っているもの。裏面には市内の商店による広告が印刷されているが、「酒田新聞」では見ることがない商店のものが多数含まれている。なお、この地図と同じ地図が今町の渡辺旅館(別称酒田ホテル)からも出ており、市内の各旅館が駅開業を機に酒田を訪れる旅行者等を対象に販売するために作成したものと推測される。

 


 

酒田市街図

(サカタシガイズ)


酒田市街図

時期:大正初期

作成年:大正4年頃

所蔵:個人蔵

浜畑町の第三尋常小学校(現琢成小学校)や議事堂兼公会堂の位置から大正4年頃の地図と考えられる。明治42年9月に新庄酒田間の鉄道敷設が決定し、西荒瀬村酒井新田地区に停車場が立地することが明治44年末に決定したことから、停車場から酒田市街地につながる道路を新たに作ることが計画されたが、停車場正面から真っすぐの道では妙法寺にぶつかるため、右にカーブさせた新たな道(寺町新道)を八雲神社脇につくり、浜畑町につながる祖父山下の交差点とつなげた経過(「広報さかた」昭和48年2月1日号「酒田の鉄道今昔ばなし」より)があり、この地図にも現れているとおり、八雲神社脇の細長い区画が生じたことがわかる。

 


 

酒田市街全図

(サカタシガイゼンズ)


酒田市街全図

時期:大正初期

作成年:大正7年8月

所蔵:個人蔵

比較的細かく大正期の酒田の主な建物や商店等が記載されている地図。大正4年(1915)に営業を開始した新庄・酒田間の鉄道と最上川駅(現港駅)が描かれているほか、最上川駅の近くには宮野浦との渡し船乗り場があったことがわかる。また、現在の幸町一丁目付近が「澁谷町」として表記されており、この表記は戦前の地図にのみ見られるもので、町づくりに際しての世話役であった渋谷勇吉にちなんでつけられた俗称(正式な地名は西荒瀬村酒井新田南水出)である。

 


 

酒田港全図

(サカタコウゼンズ)


酒田港全図

時期:大正末期

作成年:大正15年

所蔵:個人蔵

大正末期における酒田港の様子がわかる地図。大正8年(1919)に酒田築港が県会で決まり、大正期を通して旧最上川河口を港とする工事が進められた。裏面には主な地元の商業者の広告が掲載されている。

大日本職業別明細図之内山形県

(ダイニホンショクギョウベツメイサイズノウチヤマガタケン)


大日本職業別明細図之内山形県

時期:大正

作成年:大正15年12月

所蔵:酒田市立光丘文庫

大正15年12月14日に東京交通社より発行された。この明細図には鶴岡市、酒田町、松嶺町、余目(あまるめ)町、藤嶋町、大山町西郷村、由良(ゆら)、温海(あつみ)温泉、鼠ヶ関の市町村が描かれている。現代で言えば住宅地図の色彩が強い。各市町村の明細図の傍らには著名な観光地の写真も掲載されている。裏面には九市町村の成り立や官衙学校、社寺教会及名所、医院、糸綿商、飲食店、履物店、売店、肉類商、米穀肥料商、弁護士、料理店、海産乾物商、金物商、家具指物商、楽器商、浴場、洋品雑貨商、洋服商、畳商、釣具商、漬物商、魚商、運送業、請負商、靴商、薬局、鉄工所、油商、雨具商、青物果実商、写真業、新聞業、食料品商、等々の名前が克明に記されている。