022 亀ヶ崎城址(鵜渡川原)

約100年前の画像

令和元年7月現在の画像


慶長6年(1601)最上義光は上杉配下の東禅寺城を攻め庄内を制した。義光は秋田の由利地方を含めた57万石の出羽国を支配する大名となった。そこで戦いで手柄を立てた長谷堂の城代、志村伊豆守光安を酒田の東禅寺城3万石の城代に就かせた。慶長8年(1603)、酒田の浜に大亀があがってきたのを記念して最上義光が亀ヶ崎城と改めた。明治維新後、城内建物は民間に払い下げられ取り壊されて畑地となった。大正9年(1920)県立酒田中学校敷地となる。本丸・二の丸は現酒田東高等学校、三の丸は旧酒田商業高等学校の敷地にあった。写真は土手と堀趾の一部。奥に見える大屋根の建物は撮影当時にあった瓦工場と思われる。現在の写真では左手前から酒田東高の弓道場、亀ヶ崎八幡神社があり、通りの右には写っていないが建物の先に新井田川が並行して流れている。