032 宮野浦渡船場

約100年前の画像


最上川の河口に近い宮野浦と酒田とは、中島をへだてて二つの渡船に乗らなければならなかった。朝夕は魚・野菜売り、通勤者が多い路線であったが、明治・大正期は宮野浦住民の運営で、1トン余りの帆船で櫓をこいで渡っていた。四季の風光を楽しむこともできたが、時には荒狂う風雪や激流と闘わざるを得ず転覆沈没による大参事もあった。昭和に入り袖浦村営となり、船も4トン余りの動力船となった。昭和24年に県営となり、昭和47年(1972)の全国高校総体開催前の6月に出羽大橋が開通し、宮野浦渡船はその役割を終えた。