八月十九日 曇天 土曜日

現代語訳へ


朝七時すぎに臥戸から出でました、そーして居間掃除し身体を洗拭致し
飯時をなしました、そして昨日の日誌をかいて、それより「ぢやがたらいも」を皮を
むき千代ちゃんの内にワフル鍋を持って参りましたが、折りしも小屋の火
事「はむしよ」はじやんじやん「ぽんぷ」はがらがら、がらがらけむりば
ぷうぷう、妾が心は心ならずぶるぶると振るって居りましたが千代子
の君は妾をつれて屋根に上り火事場を見ましたが、煙はぷう
ぷうと上り実に忌はしく、すぐに下りました、それより家にかへり少し皆と
御話致し、それより本間家及び本間家の親類に「かきがひ」を持って
行き家に帰りすぐ居間を掃除致し、夕飯を食し少し休みまして
十一時に臥戸に入りぬ、さよなら

龍吐水(消防ポンプ) 『目でみる酒田市史』より


「全国金満家一覧表」明治45年5月15日発行 総後見に本間光輝とある