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明治三十八年七月二十七日からの記事である
山形県立酒田高等女学校生徒
本科第四学年生
担任先生は
道房勇先生
右教訓をされた一人 佐藤としえ
道房先生は本当にコッケイな御方で、
私達の担任の時は本当の父のように
慕ったが、中には嫌う人もいたよ
うだった。その一人をあげれば
伊藤きよ江たちである。時には憎
らしい事もしたものである。
概してめぐり合わせが悪く気が合わ
なかったようだ。
ああ楽しい我が師の行く末は、
蜘蛛手に分かれても心は同じどこ
までも。ああ師の君よ、わが心を
わかってください。
いついつまでも努めて師の君の
名を汚すまい。あなかしこ。
菊の花散るとも我は怠
らずたどりて行かん文の林を
末の方に記したのは、もう一年も
たって補習科となってからである。
すなわち補習科。
明治三十九年七月終りの日三十一日
に記し、時間は丁度
午前九時十五分である。
空は雲いっぱいで、見るからに
さまざまに物思う日であった。
明治三十八年八月吉日 佐藤とし江
これを用いる