注釈


7月27日
貴女の栞
『日用宝鑑貴女の栞』のこと。上下巻組で明治28年12月、大倉書店より発行。著者は東京女学館国語科教師の国分操子。女性による女性のための百科事典。


7月28日
生糸
『酒田市史』には「戦時下の飽海郡の経営の第一は軍人家族救護事業、第二には戦時記念事業である。それには生産力増強のため…特に養蚕業の振興などがあった。」とある。
 
伊藤の別荘
浜田にあった酒田浜町の大地主、伊藤四郎右衛門の別荘と思われる。この別荘は現在酒田市の所有となっており、「清亀園」として一般に開放している。
 
不動尊
酒田市南千日町の不動明王福王寺の夜会式と思われる。眼病に効くとされる。北前船の海上安全祈願の寺でもあった。


7月29日
「木豆」
枝豆のこと。


7月30日
婦美草
作文教育を主とした文芸誌。当時、山形県の教育現場では言文一致体・国語文体への模索が始まっていて、その具体的な実践活動として創刊された。編集責任者は県立山形高等女学校兼山形女子師範学校教諭の関時発(せきときあき)。
荘内日報社「郷土の先人・先覚」より
 
九時六拾五分
「六」を書き間違えたのか、わざと十時五分のことをそう書いたのか。


7月31日
「ワフル」焼鍋
ワッフルは明治中頃日本に入ってきた。当時ベストセラーになった村井弦斎の『食道楽』には「この鍋はまだ滅多に売っていない、食品屋へ頼むと横濱から取り寄せてくれるが鋳物だから値は少し高い」とある。
 
西山の畑
『郷土のよみもの』昭和10年琢成第一尋常小学校発行によると、西山は現在の光ヶ丘、住吉町~北千日町一帯。松林が風を防ぎ、砂地で作物の生育が良く、果樹・野菜の主要な生産地だったとある。


8月5日
軍人のそー式
明治37年(1904)に始まった日露戦争の出征軍人か。日露戦争への酒田出身従軍者は511名、うち戦死病没者は44名であった。


8月6日
たなばた
旧暦の七夕。竹に短冊などを飾りつけ、餅又は団子などをお供えし、翌日飾った竹を川に流す風習があった。竹を川に流すことが禁止されてからは、町にトラックが回収にきていた。酒田大火(昭和51年)の前まで続いていた。


8月7日
向岸にあふれて
『酒田市史』には「最上川が氾濫する。大宮小野寺堤防が決壊し、大宮・大町・遊摺部は陸の孤島と化す。酒田町も人家の床を浸すこと7、80センチという、未曽有の大水害である」とある。
 
居頭
頭居(くびすえ)のことか。出産の祝いとして七日目ごとの夜に、7個、14個、21個と子どもの出生後の日数だけの強飯(おこわ)をまるく握って、産児の枕辺に置く儀式。
 
蚊屋
蚊帳。蚊を防ぐために吊り下げて寝床をおおうもの。下水道設備やアルミサッシ、網戸、エアコンなど家屋の設備の進化、電気式蚊取の普及などで昭和後期にはほとんど使われなくなった。


8月8日
女子文壇
当時唯一の女子向け文芸雑誌。明治38年1月創刊。大正2年8月終刊までに100巻以上出された。『青鞜』の前身誌であり、フェミニズムの原点とも言われている。酒田浄福寺住職菊池秀言の三女である菊池リウも投稿し、たびたび入賞した。


8月9日
きび
とうもろこし。
 
孝女白菊
孝女白菊の詩は、明治21~22年国文学者の落合直文が井上哲次郎・東大教授の漢詩を新体詩として書き直したもの。「阿蘇の山里秋ふけて…」で始まる七五調の552行にも及ぶ世界最長の詩と言われ、明治大正昭和の戦前を一世風靡した。独訳、英訳された。内容は西南戦争(明治10年)の頃、熊本士族で薩摩軍に加わったため阿蘇の山里に身を隠していた父が猟に出たまま行方不明となり、娘の白菊は父を捜して旅に出る。山賊に囚われているところ、出奔して僧になっていた兄に助けられるが別れ別れになる。数年たち、親切にしてくれた老人への恩義と、血の繋がらない兄との結婚を望む母の遺言との板挟みで身を投げようとしていた時、兄と再会し、二人で家へ帰ると父も無事戻っていたという話である。ロマンチックな孝女の物語に当時の人々は感涙に咽び、家庭小説の読み物としても出版された。


8月11日
玉章
手紙。
 
さかさ裁ち
逆衽裁ち(さかおくみだち)のことか。着物の衽の裁ち方の一種。幼児は腹部が大きいので小裁ちの衽幅を少しでも広くして着やすくするために、一幅を真っ二つに切らずに少しはすかいに裁つ方法。「さあや裁ち」ともいう。


8月12日
海老ちゃ式部
明治時代の女学生が穿いていた袴の色が海老茶色であったことから、これに女官の呼び名である式部をつけたものが海老茶式部。女学生をからかって言う言葉で、主に明治30年代に使われた。
 
持仏堂
仏像や位牌を安置する仏間、あるいは仏壇。


8月13日
餅をつく
庄内地方はお盆に水餅をお供えする風習がある。


8月14日
手紙
『山形県立酒田高等女学校一覧』(明治40年11月発行)に「夏季休業中八月十五日ヲ期シ休業中己ニ経過セル実況及以後ノ覚悟等ヲ叙述セル書面ヲ学校ニ発送セシム之レ一ニ休業中遊惰ニ陥ルヲ防ギ一ツ師長ニ対スル時節ノ礼節ヲ盡サシメンタメ一ハ手紙ノ実地ノ習練ニ供セントテナリ」とある。


8月16日
家づと
手土産


8月17日
「ささぎ」
さやいんげん


8月18日
「バシヨ」の火
日和山公園の芭蕉の碑のことか?お盆の送り火のことか?


8月19日
本間家
この時の宗主は7代本間光輝。
 
「かきがひ」
牡蠣貝のことか。庄内地方では、鳥海山の伏流水が海底から湧き出ていてプランクトンが豊富に発生するため、夏の時期大きくぷっくりとした天然の岩牡蠣がとれる。


8月21日
家庭小説
明治30年代、主に家庭婦人を読者として流行した通俗小説。健全な家庭道徳に基づく愛や封建的な家における女性の苦悩を描いた。徳富蘆花の「不如帰(ほととぎす)」、菊池幽芳の「己が罪」など。光明小説。恋愛や不貞などが描かれることもあり、禁止する女学校もあった。


8月23日
「手ふきん」
手吹琴又は手風琴。アコーディオンのこと。


8月25日
コーセン
麦こがし。はったい粉。大麦を煎って焦がし、石臼でひいて粉にしたもの。これに砂糖を混ぜ、熱湯や水で溶いて食する。また菓子の材料として用いられる。


8月26日
六夜
陰暦1月・7月の26日の夜半に月の出るのを待って拝すること。二十六夜待ち。月光の中に阿弥陀仏・観音・勢至の三尊が姿を現すといい伝えられる。『酒田市史』には新井田川沿いの中の口や山王堂町、八軒町一帯で催されたとある。
 
たいへじ山
八軒町の稲荷神社内にあった太平山信仰の三吉神社のことか?


8月27日
「うり」
マクワウリの一品種と思われる。この頃はまだ“メロン”はなかった。
鵜渡川原林
鵜渡川原村のことか。明治39年の日記には鵜戸川原村と書いている。当時は新井田川の東側は鵜渡川原村であった。酒田町と鵜渡川原村が合併したのは昭和4年4月1日。


8月30日
清水校長
『山形県立酒田高等女学校一覧』によれば、この十日余り後の9月11日に死去とある。
 
同病相憐れむ
《「呉越春秋」闔閭内伝から》同じ病気、同じ悩みや苦しみをもつ人は互いにいたわりあい、同情しあう。


8月31日
あんま
マッサージ師。この頃あんまは盲人の業だったことから、俗に盲人のこと。


後書き
あなかしこ
恐れ多いことですがの意で、書状の終わりにおく挨拶(あいさつ)の語。女性が用いる。古くは男女ともに用いた