水系の特徴

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町域を流下する水系には、北部に広がる豊かな平野を形成した野洲川と、南部の山地および丘陵地に源を発し、丘陵地内に谷底低地を形成しつつ、最後には野洲川へと合流する水系とに大きく分けられる。両水系の規模と性格は大きく異なるが、町にとっての役割はそれぞれにきわめて大きい。
 前者の野洲川は、鈴鹿山脈南部の御在所(ございしょ)山(一、二〇九メートル)を源とし、山腹の南西側斜面の水を集めて流下、甲賀の山地と丘陵を開折しつつ西流し、石部町北西の狭隘部を抜け、栗東町に出ると扇状地(せんじょうち)を展開、さらには沖積(ちゅうせき)平野を形成しつつ琵琶湖へ流入する全長六一キロメートルの河川である。
 石部町付近では、町域の下流側にあたる西北端部に堅牢(けんろう)な岩石である古生層(こせいそう)のチャートからなる下山(しもやま)と、対岸の野洲町側に位置し、同じくチャートからなる菩提寺山との幅二〇〇メートル程の狭隘部を通過する。その上流側は両岸の地質が未固結の古琵琶湖層からなるため、侵食が進み、広い河谷平野を形成しており、その幅は二、〇〇〇メートルにも達し、ここに豊かな水田地域を展開させている。後者の山間部を北流し野洲川へ流れこむ水系には、落合(おちあい)川と宮(みや)川とがある。
 阿星山に源を発し、北流して野洲川へと注ぐ全長約五・五キロメートルの落合川は、町域長軸の両端を結ぶ河川でもある。
 落合川は、主要な三つの支流を有し、山間部のほぼ全域と丘陵部の中央から東部を集水域としている。まず、落合川の本流が東側を集水域として流下(流路は途中甲西町域に入る)。中央部の広野川は山腹を下刻し、東寺付近の丘陵地を流下。西側よりの堂川・蛇ヶ谷川は山腹を出て、西寺付近の丘陵地域を流下している。それぞれの川は、丘陵地域を侵食して谷底低地を形成させており、そこに水田が開け、その近くに集落を立地させている。これらの川は、丘陵北東部の尾崎(大字東寺)で広野川と堂川・蛇ヶ谷川が合流、さらに六〇〇メートル程下流の柑子袋(こうじぶくろ)で、落合川本流と合流したあと、野洲川の氾濫原平野の上を横断しているが、そこでは上流域から運んできた多量の土砂を河床に堆積させており、天井(てんじょう)川の形態を取りつつ野洲川へと注いでいる。
 このため、野洲川の氾濫原平野面を流れている小谷や井(い)(排水用の人工河川)は、落合川の河床の下を暗渠(あんきょ)を通して抜けねばならない状態となっている。
 なお、落合川下流は現在直線的に野洲川へと注いでいるが、明治期に改修工事が行われる前までは、氾濫原平野の中央部から西方へ折れ、野洲川の流れと調和する形で流入していた。
 一方、町域西方の麻田(おうだ)付近の丘陵地に発し、小起伏山地間を流下してくる全長約三キロメートルの宮川は、天狗谷の麓を流下しつつ、柿ヶ沢を経て浦ヶ島から野洲川へと注いでいる。
 宮川も下流では、野洲川氾濫原上に小規模ながら扇状地を広げ、さらに河床は天井川となっている。このため、河道の付替えを含めた河川改修事業が計画されている。
 河川の水は、田畑を灌漑(かんがい)するばかりでなく、いろいろな目的に使用されてきた。たとえば、かつては広野川上流や落合川の上流などでは、小さいながら貴重な動力源として水車を動かしていた。飲料水としても、山麓の集落では谷川の水を直接使用したり、集水し浄化して簡易水道として配水していた。また氾濫原平野部では、かつては各家が井戸水にたよっていた。水道の時代を迎えると、その水源として野洲川沿いの東河原地区にポンプ場を設置し、地下一〇〇~一三〇メートルから揚水した水を配水するようになった。同様に丘陵地域でも、西寺地区にポンプ場を設置し、地下七〇メートルから揚水し配水してきた。さらに昭和五十三年(一九七八)八月からは、滋賀県南部用水事業のもとに琵琶湖の水が導水されてきた。この結果、工業用水としての使用も可能となった。現在は琵琶湖水と地元水が、ほぼ同量の割合で使用されており、上水不足という事態は解消された。