縄文文化

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今から約一万年前、人間は土器を作ることを知り、煮炊きによって食物を口にするようになった。縄文時代の始まりである。縄文時代は紀元前約三〇〇年まで続き草創期・早期・前期・中期・後期・晩期に区分されている。
 滋賀県下には早期の石山貝塚(いしやまかいづか)をはじめ晩期の滋賀里(しがさと)遺跡に至るまで、琵琶湖周辺や湖底、さらに山間部などから数多くの遺跡が発見されている。
 野洲(やす)川流域での縄文時代の遺跡は、下流の守山(もりやま)市赤野井(あかのい)湾において湖岸から約五〇〇メートル沖合の約三・五メートル湖底(標高約八一メートル)から、早期の集石炉(しゅうせきろ)や土壙(どこう)などが発見されている。守山市の平野部に立地する吉身西(よしみにし)遺跡からは後期の竪穴(たてあな)住居が検出され、住居内から男根を型どった石棒や多量の土器などが出土している。甲賀郡では甲賀(こうが)町油日(あぶらひ)で早期の集落跡と推定されている油日縄文遺跡と、水口町塚越(つかごし)古墳下層から晩期の土器が出土している程度で、下流のような分布形態を呈していない。しかし、これは上流側の遺跡が稀薄であるのではなく、未調査によるものとみられ、今後の詳細な分布調査によっては遺跡が確認される可能性を残している。