弥生文化

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縄文時代晩期の終わりに近いころ、米、鉄、機織(はたおり)からなる新しい文化が大陸から北九州に伝わった。やがてこの文化は一~二世紀の間に東北地方にまで浸透し、弥生文化を造りだした。
 弥生文化は、それまでの狩猟(しゅりょう)・漁撈(ぎょろう)を中心とした採集経済から稲作農耕を基礎とする生産経済へと社会の生業基盤を大きく変化させ、さらに宗教面では、銅鐸(どうたく)に代表される農耕祭祀や方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)などの埋葬儀礼がみられるように、前時代と大きく異なる文化である。しかし、縄文文化の要素も濃厚に残っており、新旧の文化が複雑にからみあって弥生文化を形成していった時代でもあった。弥生時代になって人々の生活は安定しはじめ、富を蓄えるものも現われ、徐々に権力をもつものが出現する。こうした中から、各地に小国家が生まれ、それらが統合されるようになり、古墳時代へと進んでいくのである。
 弥生時代は約二三〇〇年前から約六〇〇年続き前期・中期・後期に区分されている。県内ではこれまでに約三〇〇遺跡が確認されており、大部分は琵琶湖岸から平野部にかけて分布しているが、山頂部に立地する遺跡もある。守山市服部(はっとり)遺跡は野洲川改修工事の際に発見された遺跡で、前期の水田跡約二六〇面と約三六〇基の方形周溝墓などが検出された。安土町大中(だいなか)の湖南(こみなみ)遺跡からは中期の水田跡や大量の木製農耕具類が出土している。野洲町小篠原大岩山(おじのはらおおいわやま)からは明治十四年(一八八一)に一四個、昭和三十七年(一九六二)に一〇個の合計二四個の銅鐸が出土しているのをはじめ、これまでに三五個(一個は小型銅鐸)が県内から出土している。石部町では弥生時代の遺跡は明らかではないが、町内の水田に古墳時代以降の須恵器(すえき)に混って、弥生土器が少量ながら散布していることから、石部町内にも弥生時代の遺跡が存在する可能性がある。

図9 滋賀県内主要縄文・弥生遺跡分布図

 滋賀県内の主な縄文遺跡・弥生遺跡
縄文遺跡       弥生遺跡
 1.上開田遺跡    1.北仰西海道遺跡
 2.仏生寺遺跡    2.高田館遺跡
 3.北仰西海道遺跡  3.針江川北遺跡
 4.弘部野遺跡    4.針江北遺跡
 5.上弘部遺跡    5.安井川遺跡
 6.大溝湖底遺跡   6.堀川遺跡
 7.神田遺跡     7.南市東遺跡
 8.中村遺跡     8.高蜂遺跡
 9.穴太遺跡     9.南滋賀遺跡
 10.滋賀里遺跡    10.錦織遺跡
 11.錦織遺跡     11.北大津遺跡
 12.北大津遺跡    12.太子遺跡
 13.粟津湖底遺跡   13.中沢遺跡
 14.螢谷貝塚     14.下鈎遺跡
 15.石山貝塚     15.北太田遺跡
 16.油日縄文遺跡   16.志那湖底遺跡
 17.矢橋湖底遺跡   17.烏丸崎遺跡
 18.志那湖底遺跡   18.赤野井遺跡
 19.津田江湖底遺跡  19.小島遺跡
 20.赤野井湾遺跡   20.服部遺跡
 21.服部遺跡     21.八夫遺跡
 22.吉身西遺跡    22.王之里遺跡
 23.辻遺跡      23.久野部遺跡
 24.市三宅遺跡    24.小篠原遺跡
 25.五之里遺跡    25.堤ヶ谷遺跡
 26.水茎遺跡     26.大中の湖南遺跡
 27.長谷寺湖底遺跡  27.勧学院遺跡
 28.大中の湖東遺跡  28.日吉遺跡
 29.弁天島遺跡    29.内堀遺跡
 30.瓦屋寺カマエ遺跡 30.野瀬遺跡
 31.下羽田遺跡    31.内池遺跡
 32.内堀遺跡     32.馬場遺跡
 33.堂田遺跡     33.妙楽寺遺跡
 34.三敷前遺跡    34.松原内湖遺跡
 35.竹ノ尻遺跡    35.入江内湖遺跡
 36.金屋遺跡     36.狐塚遺跡
 37.福満遺跡     37.法勝寺遺跡
 38.松原内湖遺跡   38.鴨田遺跡
 39.磯山城遺跡    39.大辰巳遺跡
 40.入江内湖遺跡   40.越前塚遺跡
 41.番ノ面遺跡    41.川崎遺跡
 42.杉沢遺跡     42.国友遺跡
 43.伊吹遺跡     43.王村遺跡
 44.十里町遺跡    44.丁野遺跡
 45.醍醐遺跡     45.葛籠尾湖底遺跡
 46.延勝寺湖底遺跡  46.高月南遺跡
 47.葛籠尾湖底遺跡  47.大森遺跡
 48.井ノ口日吉遺跡  48.今西遺跡
 49.古橋遺跡     49.桜内遺跡
 50.余呉湖底遺跡   50.下丹生遺跡