古墳時代は四世紀と五世紀そして六世紀以降とでは古墳の内容が大きく異なるため、四世紀を前期、五世紀を中期、六世紀以降を後期に区別している。現在、日本列島に存在する古墳は一五万基以上とみられており、その約八割は後期に属するものである。
はじめ首長墓(しゅちょうぼ)として出発した古墳も後期になると、社会的地位のそれほど高くない人々までが古墳を築き始め、尾根筋や谷あいの狭い範囲に数十基から数百基が密集して群集墳(ぐんしゅうふん)を形成するようになる。また、前・中期の古墳で使用された埋葬施設である竪穴式石室や粘土槨(ねんどかく)などは、死者を封じこめるような施設であったのに対し、後期に大陸から伝来した横穴式石室は外界に通じる出入口である羨道(せんどう)をもち、死者の追葬(ついそう)を可能にしている。さらに、副葬(ふくそう)する品々は生活用品が多くなり、石室内を死後の世界と考えるようになった。
五世紀の古墳は呪術的・宝器的な品々を副葬する司祭者的首長の古墳である前期古墳から、多量の武器類や金メッキを施こした葬身具・武具・馬具を副葬する武人的性格の首長の古墳へ変化して、極端に大規模化する。まさに大王の世紀と呼ぶにふさわしい時期である。
ところで、古墳の分布形態をみると、古式の大型古墳で構成される古墳群で何十年間隔に一古墳を順次築く場合がある。一世代に一古墳を築造する、いわゆる首長の地位世襲型といわれるもので、出自が同じ首長一族の歴代墓である。また、川筋でいくつかの古墳群が分布して、一古墳群のみに大規模な古墳を築造する場合がある。その被葬者(ひそうしゃ)たちはその地域での最有力者と理解され、川筋で構成する部族連合の大首長家系の古墳群といえる。さらに、川筋単位の中に一世代で最大規模の古墳を築くが、次代には隣の古墳へ移動するように、世代によって最大の古墳が移動していくものがある。これは、首長権をいくつかの部族間で持回りするもので、一家系に権力が固定していないことを物語っている。また、これまで最大の古墳を有していた古墳群が途中で消滅するか小規模化して、これに代わってその周辺に新しい古墳群が出現して、その中に規模の大きな古墳が存在する場合がある。これは、これまでの群集墳から離れて出現する前方後円墳も同じ形態に含まれ、新興層型首長墓といえる。
このように、首長墓の分布形態にはいろいろなタイプがあるが、野洲川流域ではどうであろうか。丸山竜平氏は野洲川流域に分布する一一基の前方後円墳を摘出され、首長権を一一の古墳の主で持回りしていることを推定された。それによると、四世紀に野洲町天王山(てんのうざん)古墳が出現して栗東(りっとう)町亀塚(かめづか)古墳、同町大塚越(おおつかごし)古墳、草津市山寺北谷(やまでらきただに)一一号墳と続き、五世紀になり石部町宮の森(みやのもり)古墳、水口町泉塚越(いずみつかごし)古墳、栗東町林車塚(はやしくるまづか)古墳、草津市南笠(みなみがさ)一・二号墳へ、六世紀に入って野洲町越前塚(こしまえづか)古墳、同町穴蔵(あなぐら)古墳、甲賀町岩室(いわむろ)古墳に続くものである。このように、丸山氏は古墳時代全般を通じて首長権が連続して持回る構図を想定されている。しかし、昭和六十二年(一九八七)守山市川田遺跡から人物や馬形埴輪をともなった六世紀前半の前方後円墳が発見された。川田遺跡の時期は越前塚古墳から穴蔵古墳の築造期に相当しており、前方後円墳をこの地域における首長墓とするならば、六世紀前半の野洲川流域には二つの首長権が存在したことになり、首長権の持回りという直接的連続性はたどれなくなる。
古墳時代は六世紀を画期として、横穴式石室が一般的に採用され、各地に群集墳が出現するように、古墳の構造は大きく変貌する。それは前期以来の政治的部族同盟体制が動揺をきたし、大和政権は新たな地域支配と政治秩序の確立を必要としていたのである。そこで、在地勢力である有力家父長層の地位を高めて、政治的関係を結び新しい政治体制を確立して、大和政権によるより強固な全国征覇を行おうとしたのである。この社会構造の変化は古墳構造の変化であり、川田遺跡の被葬者が大和政権を背景に一つの勢力権を形成することとは矛盾しない。
図10 滋賀県内主要古墳分布図
滋賀県内の主な古墳
1.北牧野古墳群 54.越前塚古墳
2.西牧野古墳群 55.田中古墳群
3.王塚古墳 56.三ツ山古墳群
4.妙見山古墳群 57.岩屋古墳
5.将軍塚古墳 58.雨宮古墳群
6.建速神社古墳群 59.岡山古墳群
7.熊野本古墳群 60.車塚古墳
8.下平古墳群 61.千僧供古墳群
9.田中王塚古墳群 62.八幡社古墳群
10.鴨稲荷山古墳 63.新巻古墳群
11.拝戸古墳群 64.木村古墳群
12.音羽古墳群 65.飯道塚古墳群
13.北小松古墳群 66.小御門古墳群
14.石神古墳群 67.常楽寺山古墳
15.石釜古墳群 68.瓢箪山古墳
16.曼陀羅山古墳群 69.竜石山古墳群
17.大塚山古墳 70.猪子古墳群
18.春日山古墳群 71.川並古墳群
19.西羅古墳群 72.熊の森古墳
20.高峰古墳群 73.小田刈古墳
21.木ノ岡古墳群 74.高塚古墳群
22.穴太古墳群 75.上岸本古墳群
23.赤塚古墳 76.勝堂古墳群
24.大通寺古墳群 77.長塚古墳
25.百穴古墳群 78.小八木古墳
26.福王子古墳群 79.平柳古墳群
27.皇子山古墳 80.金剛寺野古墳群
28.茶臼山古墳 81.荒神山古墳群
29.国分大塚古墳 82.葛籠北古墳群
30.横尾山古墳群 83.外輪古墳群
31.織部古墳 84.大塚古墳
32.南笠古墳群 85.大岡古墳群
33.追分古墳 86.塚原古墳群
34.下味古墳 87.塚の越古墳
35.椿山古墳 88.山津照古墳
36.安養寺古墳群 89.越前塚古墳群
37.北谷古墳群 90.垣籠古墳
38.新開古墳群 91.茶臼山古墳
39.柿ケ沢古墳群 92.唐古塚古墳
40.宮の森古墳 93.丸山古墳
41.六反古墳群 94.赤谷古墳群
42.孤栗古墳群 95.雲雀山古墳
43.園養山古墳群 96.岡の腰古墳
44.岩坂古墳群 97.乗鞍古墳群
45.宇川古墳群 98.若宮山古墳
46.高山古墳群 99.古保利古墳群
47.勅旨古墳群 100.姫塚古墳
48.泉古墳群 101.横山神社古墳
49.塚越古墳 102.湧出山古墳群
50.孤塚古墳 103.桃山古墳群
51.川田遺跡 104.黒田長山古墳群
52.木部天神前古墳 105.上ノ山古墳群
53.大岩山古墳群 106.塩津丸山古墳群
2.西牧野古墳群 55.田中古墳群
3.王塚古墳 56.三ツ山古墳群
4.妙見山古墳群 57.岩屋古墳
5.将軍塚古墳 58.雨宮古墳群
6.建速神社古墳群 59.岡山古墳群
7.熊野本古墳群 60.車塚古墳
8.下平古墳群 61.千僧供古墳群
9.田中王塚古墳群 62.八幡社古墳群
10.鴨稲荷山古墳 63.新巻古墳群
11.拝戸古墳群 64.木村古墳群
12.音羽古墳群 65.飯道塚古墳群
13.北小松古墳群 66.小御門古墳群
14.石神古墳群 67.常楽寺山古墳
15.石釜古墳群 68.瓢箪山古墳
16.曼陀羅山古墳群 69.竜石山古墳群
17.大塚山古墳 70.猪子古墳群
18.春日山古墳群 71.川並古墳群
19.西羅古墳群 72.熊の森古墳
20.高峰古墳群 73.小田刈古墳
21.木ノ岡古墳群 74.高塚古墳群
22.穴太古墳群 75.上岸本古墳群
23.赤塚古墳 76.勝堂古墳群
24.大通寺古墳群 77.長塚古墳
25.百穴古墳群 78.小八木古墳
26.福王子古墳群 79.平柳古墳群
27.皇子山古墳 80.金剛寺野古墳群
28.茶臼山古墳 81.荒神山古墳群
29.国分大塚古墳 82.葛籠北古墳群
30.横尾山古墳群 83.外輪古墳群
31.織部古墳 84.大塚古墳
32.南笠古墳群 85.大岡古墳群
33.追分古墳 86.塚原古墳群
34.下味古墳 87.塚の越古墳
35.椿山古墳 88.山津照古墳
36.安養寺古墳群 89.越前塚古墳群
37.北谷古墳群 90.垣籠古墳
38.新開古墳群 91.茶臼山古墳
39.柿ケ沢古墳群 92.唐古塚古墳
40.宮の森古墳 93.丸山古墳
41.六反古墳群 94.赤谷古墳群
42.孤栗古墳群 95.雲雀山古墳
43.園養山古墳群 96.岡の腰古墳
44.岩坂古墳群 97.乗鞍古墳群
45.宇川古墳群 98.若宮山古墳
46.高山古墳群 99.古保利古墳群
47.勅旨古墳群 100.姫塚古墳
48.泉古墳群 101.横山神社古墳
49.塚越古墳 102.湧出山古墳群
50.孤塚古墳 103.桃山古墳群
51.川田遺跡 104.黒田長山古墳群
52.木部天神前古墳 105.上ノ山古墳群
53.大岩山古墳群 106.塩津丸山古墳群
図11 石部町周辺の古墳時代の遺跡分布図
1.宮の森古墳
2.柿ケ沢古墳群
3.六反古墳群
4.金山古墳群
5.阿弥陀寺古墳群
6.茶臼山古墳群
7.孤栗古墳群
8.孤塚古墳
9.竜王山古墳群
10.久保古墳群
11.塞谷古墳群
12.塚山古墳
13.岩瀬谷古墳群
14.井戸遺跡(集落跡)
A.(吉姫神社裏山古墳群)
B.(丸山古墳群)
2.柿ケ沢古墳群
3.六反古墳群
4.金山古墳群
5.阿弥陀寺古墳群
6.茶臼山古墳群
7.孤栗古墳群
8.孤塚古墳
9.竜王山古墳群
10.久保古墳群
11.塞谷古墳群
12.塚山古墳
13.岩瀬谷古墳群
14.井戸遺跡(集落跡)
A.(吉姫神社裏山古墳群)
B.(丸山古墳群)