昭和三十三年(一九五八)に主体部推定付近と後円部の墳上部分の発掘調査が行われ、主体部推定付近から家形(いえがた)埴輪が、墳丘斜面から円筒(えんとう)埴輪が出土した。『石部町史』によると、原状をとどめる状態にあった基底部の列は、墳頂付近と中位・下位斜面に認められ、上・中・下位の三段に円筒埴輪をめぐらしていたようである。その中に形象埴輪(けいしょうはにわ)が配されていたかどうかは明らかではないが、当時の実測図をみるかぎりでは形象埴輪は立てられていなかったと考えられる。なお、出土埴輪の中に朝顔形埴輪の破片が一点あり、円筒埴輪列の中に朝顔形埴輪が配されていた可能性はきわめて高い。
写5 宮の森古墳遠景
図12 宮の森古墳位置図
図13 宮の森古墳墳上測量図
墳頂部の最上位では南側から六本の円筒埴輪の基底部がほぼ直線的に配されている。六本は五~一〇センチメートル間隔に配置され、また、墳頂部の西側から破片が列をなして出土しており、ほぼ原位置に近いと推定されることから、約一〇センチメートル間隔の密度で全周するとすれば、総延長約三〇メートルに約九〇本の数字が求められる。基底部は古墳封土中に埋設されているが、第一タガを残すものがないことから、全体に浅く埋設されていたことがわかる。中位円筒埴輪列は上位から約三メートル下に立てられ、東側で一ケ所、西側で二ケ所の三ケ所に認められる。しかし、中位の実測図がないため、何本であったのか明らかではない。下位円筒埴輪列は中位から約三メートル下の墳丘東側斜面から一〇本出土している。埴輪の間隔は南側から四本目までは四五~七五センチメートル、中央付近は約一〇センチメートル、九本目と一〇本目は八〇センチメートルになる。出土した総延長は約五・五メートルであることから、全周するとすれば約一五〇メートルに約二七〇本が配されていたことになる。