出土の埴輪

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昭和三十三年に出土した埴輪は合計で二〇本以上あるが、いずれも破片で完形品はない。大部分は第一タガより下位の基底部で、タガは破片が三点存在するが何段目に相当するかは不明である。朝顔形埴輪は肩部のタガ付近の破片である。
 円筒埴輪の基本的な形態は底部から口縁(こうえん)部に向ってゆるやかに外傾する筒状を呈する。体部には三条以上のタガによって四段以上に区画し、三段目付近に円形や三角形の透孔を配する。一般的な大きさは、器高四〇~五〇センチメートル、口縁部径約三〇センチメートル、底部径約二〇センチメートルである。宮の森古墳の円筒埴輪の底部径は一七~二二センチメートルで平均約二〇センチメートルになる。朝顔形埴輪は円筒埴輪と同様の体部の上に、身部をしぼった肩部がつき、その上に大きく外反する口縁部をのせる。タガは五ないし六条めぐらし、器高は七〇センチメートル前後、口縁部径は四〇~五〇センチメートルあり、底部径は円筒埴輪とほぼ同値である。
 製作は粘土帯を輪積みまたは巻き上げで作っており、底部は四~五センチメートル、上部は約二センチメートルの帯状または紐状の輪を積んでいく。器高が四五センチメートルのものならばおよそ二〇回にわたって積み上げていることになる。なお、内面にはつぎ目痕を残しているものが多い。

図14 宮の森古墳埴輪出土状況(上:最上位,下:下位)


図15 埴輪で飾られた前方後円墳の想像図
(高橋美久二「京都考古」第49号から)


図16 円筒埴輪の部分名称(上)


図17 朝顔形埴輪(左)


 


 


 


 


写6 宮の森古墳出土遺物(埴輪)


 


 


写7 宮の森古墳出土遺物(埴輪・直刀・剣)


 


写8 宮の森古墳出土遺物(鉄鏃、そのほか鉄製品)

 内外面の調整は時期によって異なるが、宮の森古墳の円筒埴輪の外面調整は、第一次調整にタテハケを施し、第二次調整にヨコハケを施しており、底部を第一次調整だけの埴輪(⑤~⑩)もある。タテハケは下から上方向に施される。内面調整はナデのみのもの(①④⑤⑧~⑩)、ナデとハケを組合わせるもの(②③⑥⑦⑪⑫)があり、ハケにはタテハケとヨコハケとがある。
 胎土は細砂粒を多く混入させるもの(⑧~⑩⑫)や砂粒の少ないもの(①~⑦⑪)があり、砂粒には石英を含んでいる。焼成は比較的軟質で、表面に黒斑が認められる。色調は明褐色(⑤⑨)、淡明褐色(②⑧⑫)、淡褐色(①③④⑥⑦⑩⑪)などを呈する。

図18 宮の森古墳出土遺物(朝顔形埴輪・円筒埴輪)

 主体部推定地の北側から出土した形象埴輪は家形埴輪とみられる。この家形埴輪は二個体以上ある。⑬から⑮は屋根の破片で、切妻作りである。軒先は肥厚につくり、その裏面には壁体につづく壁の一部や補強粘土痕が残る。⑬は屋根の上部にヘラ書きにより網代(あじろ)ぶきを表現した線刻がある。その下位に幅一・四センチメートルの凸帯でおさえ木を表現している。破風(はふ)板は欠失するが、剥離痕から厚さ約一・五センチメートルであったことがわかる。軒先裏面と妻には赤色顔料が残る。屋根勾配(こうばい)は約四〇度である。胎土は良く、焼成は堅く、淡褐色を呈する。⑭は屋根上部にヘラ書きによる網代ぶきを表現した線刻がわずかに残り、その下位に沈線を二条ひく。おさえ木を略化したものである。破風板は軒先部分が残り、カーブを描いて立ち上っている。表面に赤色顔料を塗付している。屋根勾配は約四八度である。胎土は良く、淡褐色を呈し、焼成はやや軟質で黒斑が認められる。⑮は軒先の破片で屋根の表面に赤色顔料を塗付している。屋根勾配は四二度前後である。胎土は良く、焼成は軟質で明褐色を呈する。⑯は軒先の破片とみられるが、他の形象埴輪の可能性もある。胎土は良く、焼成はやや堅く、明褐色を呈する。⑰は壁面の角部である。柱部は貼合せで突出さす。壁面には横方向のハケ目を施し、柱部は縦方向のハケ目を施す。全面に赤色顔料を塗付している。胎土は良く、焼成は軟質で、明橙褐色を呈する。⑱は家形埴輪の基部で裾廻台のコーナー部分である。壁面より平で三・五センチメートル、妻で二・五センチメートルを突出さし、平には端部から一一センチメートルのところに柱の剥離痕が認められる。裾廻台は壁面に貼付けており、貼付け部分で剥離している。胎土は良く、焼成は堅く、淡褐色を呈する。⑲~21は家形埴輪の一部であり、⑲は破風板の破片とみられる。黒斑があり淡明褐色を呈する。⑳は貼付突帯で中央部で横方向にのび、T字形を呈する。側面には赤色顔料を塗付している。胎土は良く、焼成は堅く、黒斑が認められ、淡褐色を呈する。21は家形埴輪の棟の一部とみられる破片である。

図19 家形埴輪
(近藤義郎他「月の輪古墳」から)

 22は草摺(くさずり)形埴輪ないしは衣蓋(きぬがさ)埴輪の下端部である。先端部をわずかに肥厚させる。表面の下位に二条の沈線を描き、その上部に綾杉文(あやすぎもん)を線刻して、上部に縦方向の沈線とその横にY字状の連続文を施す。先端部裏面に赤色顔料を塗付している。胎土は良く、焼成はやや堅く、黒斑が認められ淡褐色を呈する。23は衣蓋の肩部と推定される。上部を肥厚さすがその部分は剥離する。表面には縦方向と横方向の沈線によって区画し、区画の下位に綾杉文を配する。胎土は良く、焼成は堅く、黒斑が認められ、淡褐色を呈する。24は表・裏面に凸帯をもち、表面の凸帯はさらに突出する。

図20 宮の森古墳出土遺物(家形埴輪)


図21 宮の森古墳出土遺物(家形埴輪他)

 以上のように宮の森古墳出土の埴輪はすべて破片で、完形もしくは完形に復元できるものはない。出土している埴輪は円筒埴輪・朝顔形埴輪と、形象埴輪である家・推定草摺形・衣蓋である。家形埴輪は屋根構造から二個体以上は存在しており、主体部の上に主屋・副屋として他の形象埴輪とともに配置されていたと想定される。その周囲に上位の円筒埴輪をめぐらし、斜面の中位と下位にも円筒埴輪列が回っていたと理解される。普通、斜面の円筒埴輪列を配する部分は平担面になっており、当古墳も墳丘は二段に築かれていたと考えられる。