阿星山・雨山

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石部町にそびえる阿星山は、標高六九三メートルと、信楽・田上山地の最高峰であり、栗太郡との境をなしている。また元明(げんめい)天皇の和銅(わどう)年間(七〇八~七一五)に金粛(こんしゅく)菩薩の開創による阿星寺の伝承地であり、尾根続きの竜王山・飯道山、野洲川対岸の山麓にも金粛菩薩の開創とされる寺院が点在することなどその関連性が注目される(第二章第三節参照)。
 阿星山中の標高約六〇〇メートル付近には竜王社があり、竜王山と称している。現在も東寺地区の人びとによって毎年七月八日に竜王社に参詣し、祠のそばの巨岩にあけられた二ケ所の穴に持参した水を注ぎ、竜王社の神体の石を長寿寺の鎮守社である白山神社に持ち帰り、五穀豊穣を祈願するという雨乞いのなごりと思われる行事が残っている。ちなみに滋賀県下にみられる雨乞いの行事のひとつとして太鼓踊りがあるが、阿星山の麓に位置するこの東寺地区にも、歌詩のみであるが伝承されている。またこれに関連すると思われるものに阿星山山腹には「太鼓場(たいこば)」という地名も残されている。
 大字石部の北東に位置する丘陵地域は、石部山と呼ばれており、栗太郡(栗東町)との境を限る。この石部山の最高峰は標高約二八〇メートルあり、雨山(あめやま)と呼ばれている。現在は頂上に竜王碑が立っている。ここも、阿星山、竜王山などとともに雨乞いが行われたという伝承がある。

写12 竜王碑(雨山山頂)

 阿星山・雨山をもつ石部町域は、野洲川水系に属し、少なくとも弥生期以来、稲作を生業の基本において生活していたので水に対する関心は強かった。周囲の山地・丘陵は、風化花崗岩による独特の景観を呈するため、水の神すなわち農耕の神や豊作の神がやどるところと考えられ、主たる生活の場であった里からは、神々のやどる信仰の場として認識され、それが定着していったと考えられる。