写21 伊勢斎宮禊祓旧跡碑
栗東町伊勢落の寿泉神社境内にあるもの。『近江輿地志略』には、斎宮跡であるとされている。
石部通過日 | 文献名 | 作者 |
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昌泰2年9月10日(899) | 西宮記 | 源高明 |
寛弘2年12月11日(1005)18日 | 権記 | 藤原行政 |
長和4年9月23日(1015) | 小右記 | 藤原実資 |
長元4年(1031) | 左経記 | 源経頼 |
長元7年10月29日(1034) | 左経記 | 源経頼 |
長暦2年10月(1038) | 水野忠央 | |
承保元年6月27日(1074) | 伊勢公卿勅使抄所引承保元年記 | |
承保元年6月29日(1074)7月4日 | 師記(経信卿記) | 源経信 |
寛治4年9月11日(1090) | 伊勢勅使部類記 | |
長治2年8月15日(1105)22日 | 雅実公記(久我相国記) | 源雅実 |
嘉承2年2月12日(1107)19日 | 雅実公記(久我相国記) | 源雅実 |
永久2年正月28日(1114) | 中右記 | 藤原宗忠 |
治承元年9月12日(1177) | 愚眛記 | 三条実房 |
治承元年9月12日(1177)17日 | 公卿勅使記 |
『延喜式』によれば、斎王群行は九月に行うのが恒例となっている。頓宮(とんぐう)は、近江国府(瀬田)・甲賀・垂水・伊勢国鈴鹿・壱志の五ケ所であり、禊(みそぎ)を六ケ所の界川、すなわち近江勢多川・甲賀川(野洲川)・伊勢鈴鹿川・下樋(したび)(雲出川)・小川(櫛田川)・多気川(宮川)で行うこととなっている。
この野洲川で行う禊は、野洲・栗太・甲賀三郡の境界に位置する伊勢落(いせおち)村付近であったと考えられる。伊勢落村は『近江輿地志略(おうみよちしりゃく)』によると、かつて「伊勢大路(いせおおじ)村」と称していたとする。現在も野洲川の堤防に沿った田の中に斎宮跡の伝承地がある。文献的にも、『帥記(そつき)』の承保(じょうほう)元年(一〇七四)、『中右記(ちゅうゆうき)』の永久二年(一一一四)、『愚昧記(ぐまいき)』の治承(じしょう)元年(一一七七)などに野洲川の禊に関係する記事がみられる。
伊勢落村は、伊勢路のなごりの場所であり、三郡の境界に接し、禊の地としてふさわしい地点であったものと思われる。